第75回“社会を明るくする運動”作文コンテスト法務大臣賞及び特別賞表彰式を行いました。

受賞者と参列者の集合写真
本作文コンテストは、全国の小・中学生の皆さんに、日常生活での体験を通じて、犯罪や非行のない明るい社会づくりについて考えたことや感じたことを作文にすることで、更生保護に対する理解を深めてもらうことを目的として実施しており、今回で33回目を迎えました。
法務大臣賞について
全国から応募があった約30万点に及ぶ作品の中から、厳正な審査の結果、法務大臣賞(最優秀賞)2点をはじめ入賞作品32点が選ばれました。法務大臣賞には、小学生の部は足立崇人さん(島根県)の作品「いちょうの木がくれたつながり」が、中学生の部は藤田一花さん(愛媛県)の作品「立ち直りに寄り添うとは」がそれぞれ選出されました。

表彰を受ける足立崇人さん

表彰を受ける藤田一花さん
表彰式では、平口法務大臣が、足立さんと藤田さんに対して表彰状とトロフィーを贈呈し、お二人の作文を読んでの感想とお祝いを述べました。

挨拶を述べる平口法務大臣
特別賞について
本年から、丸善雄松堂株式会社及び株式会社丸善ジュンク堂書店の御協力により特別賞(丸善まなびのつながり賞)を新設しました。本賞は、本作文コンテストに参加する学校のうち、特に積極的な取組を行う学校(小学校・中学校各1校)を表彰するものです。
記念すべき第一回目の受賞校は、小学校の部が熊谷市立熊谷西小学校(埼玉県)、中学校の部が越前町立織田中学校(福井県)に決定しました。
表彰式には、丸善雄松堂株式会社の矢野正也代表取締役社長及び株式会社丸善ジュンク堂書店の西川仁代表取締役社長にお越しいただき、両社長から各校に対して表彰状と目録が贈られました。
記念すべき第一回目の受賞校は、小学校の部が熊谷市立熊谷西小学校(埼玉県)、中学校の部が越前町立織田中学校(福井県)に決定しました。
表彰式には、丸善雄松堂株式会社の矢野正也代表取締役社長及び株式会社丸善ジュンク堂書店の西川仁代表取締役社長にお越しいただき、両社長から各校に対して表彰状と目録が贈られました。

西川社長から表彰を受ける熊谷市立熊谷西小学校の長谷部校長
矢野社長から表彰を受ける越前町立織田中学校の鳥居校長
法務大臣賞受賞作文(全文)
▼法務大臣賞受賞作品(小学生の部)
「いちょうの木がくれたつながり」
島根県・安来市立社日小学校・六年 足立 崇人さん
「とっても楽しいよ!」この声を聞いて、僕はとても嬉しい気持ちになりました。
僕が住んでいるのは小さな町。家の近くには神社があって、その真ん中には大きな大きないちょうの木があります。その木を囲むようにして毎年夏休みにはラジオ体操をしています。去年までは町内の小学生だけで集まって、ただただ体を動かすだけでしたが、今年の夏、六年生で班長になった僕は、新しい企画を考えました。それは、子どもだけではなく地域のおじいさんおばあさんを誘って一緒にやることです。
きっかけは、小学校の課外活動で地域のおじいさんやおばあさんからいろいろなことを教わったことでした。今回、「もっと地域の人たちと仲良くなれる活動を自分たちでもできないだろうか」と考えました。そこで、夏休みのラジオ体操に新しい工夫を取り入れてみることにしました。ラジオ体操をした後に集まってくれたおじいさんおばあさんたちと一緒にふれあい活動をすることです。ふれあい活動の内容は、「今日は何の日?」コーナーを作り、子どもたちから説明すること。そしてもうひとつ、子どもたちとおじいさんおばあさんで簡単なレクリエーション活動をすることでした。
ラジオ体操はもともと体を動かして健康を保つことを目的に始まった活動ですが、実際にやってみると、それ以上の効果があったように感じました。僕たちが毎日「今日は何の日」を発表すると、笑ってくれたり、なるほどと感心してくれたり、そこから会話がどんどん広がっていきました。「今日はどんな一日にしようかな。」とみんなが前向きな気持ちになれたような気がします。
また、ふれあい活動を続けていくうちに、お年寄りと子どもがお互いの顔や名前を覚えるようになり、自然と会話も増えました。体操の後に「あだち君今日も元気でええね!」「誘ってくれてありがとうね!」と声をかけてもらえるようになりました。参加してくれたお年寄りの口コミで少しずつ参加者も増えて、「毎日楽しみにしちょーけんね。」と感謝の言葉をかけてもらうと、僕たちもやりがいを感じました。
ラジオ体操期間が終わったある日、参加してくれていたおばあさんに道ですれ違い、「お元気ですか?」と声をかけました。するとそのおばあさんは笑顔で「まぁ、ありがとうね。毎日がとっても楽しいよ。」と答えてくれました。その言葉を聞いて僕は、自分たちの活動が少しずつ地域の皆さんを元気に、明るくし始めているのだと気づき、とても嬉しくなりました。
この活動を続けるうちに、僕は「社会を明るくする運動」とはどういうことか考えるようになりました。テレビや新聞では、毎日のように悲しい事件や犯罪のニュースを目にします。そのたびに、犯人はどうしてもっと周りの人に相談をしたり、助けを求めたりできなかったのだろう、と思いました。心が満たされず、こ独を感じることが事件につながってしまうのではないか、と考えました。今回の企画を通して、大人も子どもも顔を合わせて声をかけ合い、心を通わせることで気持ちが明るくなり、満たされていくのを感じました。そうして心が元気になると、学校でも仕事でも前向きに頑張れるようになり、社会全体が明るくなっていくのではないか思います。地域のつながりが強くなることは、犯罪を減らす大きな力にもなるはずです。
僕は来年中学生になりますが、この活動を四年生、五年生に引き継ぎ、自分も参加し続けたいと思います。そして、周りの人の心を少しでも動かし、社会を明るくできるような人間になりたいです。そしていつか、地域の人みんなが「毎日がとても楽しいよ」と笑顔で言い合えるような社会をつくることが、僕の目標です。
▼法務大臣賞受賞作品(中学生の部)
「立ち直りに寄り添うとは」
愛媛県・西条市立東予東中学校・三年 藤田 一花さん
私の父が勤めている職場には、年齢や出身、国籍も違う様々な人たちが在籍しています。その中には前科がある人も少なくはないそうです。
三年ほど前、刑務所に服役していたAさんという方が父の職場で働き始めました。作業に慣れるまで時間は掛かったけれど、仕事はとても丁寧で、毎日誰よりも早く出社し、一番遅く帰る生活を続けていたそうです。職場のみんなは真面目で優しいAさんを慕っていました。その頃のAさんに、私も一度会ったことがありますが、柔らかな物腰から、温かい人だと感じました。
ようやく仕事にも慣れてきた頃、Aさんは突然仕事を辞め、誰も連絡が取れなくなってしまいました。後から分かったことですが、Aさんが辞職した理由は、同じアパートの住人たちから退去の催促をされ、それに嫌気がさしたからだったそうです。職場のみんながAさんの辞職に戸惑いました。理由を知った私もその話を聞いたとき、やるせない気持ちになったことを今でも鮮明に覚えています。
Aさんの辞職からかなりの時間が経ち、父は再びAさんと連絡が取れるようになりました。今回、私が社会を明るくする運動の作文でAさんのことを書きたいと父に相談すると、父はAさんとの食事に連れて行ってくれました。久しぶりに会ったAさんは以前と変わらず優しくて、「作文に書いてくれて嬉しい」と、辞職した当時のことをたくさん話してくれました。
アパートでは、周りからいつも白い目で見られていた。近くを通れば避けられ、聞こえる距離で心無いことを言われた。でもそれは当たり前であって、自分がここに住んで申し訳ないと思っていた。そんな中で職に就けることになった。やっと就けた仕事だから頑張りたい。でも人との付き合い方が分からない。不安を抱えながら仕事を続けていたが、職場の人は優しかった。ここで働けて良かった、仕事が楽しいと思えるようになったが、自分が楽しんでいいのかという思いが常にあった。職場の人たちは温かく接してくれるが、アパートの住人たちは自分をよく思ってはいない。だから、毎日一番遅くに職場を出て、歩いて時間を潰し、深夜にアパートに帰る。朝早くにアパートを出て、誰よりも早く出社する。とにかくアパートにはいたくなかった。そんな日々の中で、ある日、父と一緒に私と会うことになった。近所の子どもたちにからかわれたり、保護者の目や態度が気になったりして、自分からは関わってこなかった。だから、私と初めて会うときは怖かった。でも、そんな風に思うのは相手に失礼だ。相手のことを勝手に決めつけるのは、あのアパートの住人と同じだ。そう思って、私と会うことにしたそうだ。
Aさんのこれまでのことを聞いて、私は気持ちを言葉にすることができませんでした。私は父の仕事の辛さを知っています。怪我も多く、体力も精神力も必要な仕事です。毎日誰もいない職場に行き、疲れた体で暗闇を歩くAさんは、どんな気持ちでいたのだろうと、アパートの人たちへの怒りも湧きました。しかし、Aさんの最後の言葉を聞いて、私自身もはっとさせられました。それは、会って話をするまでは私もAさんを「怖い」と思い、服役していたことがあるという良くないイメージで見ていたからです。
私たちは、自分の想像や思い込みで人を判断してしまいがちです。その人のことを知ろうともせず、先入観を持って他者と接することは、いつしか差別や偏見につながります。大切なことは、相手の経歴や過去にとらわれず、今自分の目の前にいる人と向き合おうとすることだと思います。私はAさんと実際に話をしてAさんの優しさを知りました。アパートの人たちも、もっと話をしていればまた違う結末があったかもしれません。
人は何度でもやり直せる。けれど、立ち上がるためには場所と周りの手助けが必要です。Aさんは、
「逃げる場所を間違えず、周りの人、自分を大切にしてくれる人を大切に。」
と教えてくれました。私はこれから、誰に対しても進んで話をしようとすること、しっかりと言葉にすること、そして言葉を大切にすることを心掛け、周りの人たちに寄り添っていきたいと思います。
父とAさんは、今もたまに食事に行き、他愛もない話をするそうです。誰もが互いに、友人として笑いあったり、楽しく食事ができたりするような、そんな明るい社会になることを願い、私も目の前にいる人と向き合って、大切にしていきたいと思います。
「いちょうの木がくれたつながり」
島根県・安来市立社日小学校・六年 足立 崇人さん
「とっても楽しいよ!」この声を聞いて、僕はとても嬉しい気持ちになりました。
僕が住んでいるのは小さな町。家の近くには神社があって、その真ん中には大きな大きないちょうの木があります。その木を囲むようにして毎年夏休みにはラジオ体操をしています。去年までは町内の小学生だけで集まって、ただただ体を動かすだけでしたが、今年の夏、六年生で班長になった僕は、新しい企画を考えました。それは、子どもだけではなく地域のおじいさんおばあさんを誘って一緒にやることです。
きっかけは、小学校の課外活動で地域のおじいさんやおばあさんからいろいろなことを教わったことでした。今回、「もっと地域の人たちと仲良くなれる活動を自分たちでもできないだろうか」と考えました。そこで、夏休みのラジオ体操に新しい工夫を取り入れてみることにしました。ラジオ体操をした後に集まってくれたおじいさんおばあさんたちと一緒にふれあい活動をすることです。ふれあい活動の内容は、「今日は何の日?」コーナーを作り、子どもたちから説明すること。そしてもうひとつ、子どもたちとおじいさんおばあさんで簡単なレクリエーション活動をすることでした。
ラジオ体操はもともと体を動かして健康を保つことを目的に始まった活動ですが、実際にやってみると、それ以上の効果があったように感じました。僕たちが毎日「今日は何の日」を発表すると、笑ってくれたり、なるほどと感心してくれたり、そこから会話がどんどん広がっていきました。「今日はどんな一日にしようかな。」とみんなが前向きな気持ちになれたような気がします。
また、ふれあい活動を続けていくうちに、お年寄りと子どもがお互いの顔や名前を覚えるようになり、自然と会話も増えました。体操の後に「あだち君今日も元気でええね!」「誘ってくれてありがとうね!」と声をかけてもらえるようになりました。参加してくれたお年寄りの口コミで少しずつ参加者も増えて、「毎日楽しみにしちょーけんね。」と感謝の言葉をかけてもらうと、僕たちもやりがいを感じました。
ラジオ体操期間が終わったある日、参加してくれていたおばあさんに道ですれ違い、「お元気ですか?」と声をかけました。するとそのおばあさんは笑顔で「まぁ、ありがとうね。毎日がとっても楽しいよ。」と答えてくれました。その言葉を聞いて僕は、自分たちの活動が少しずつ地域の皆さんを元気に、明るくし始めているのだと気づき、とても嬉しくなりました。
この活動を続けるうちに、僕は「社会を明るくする運動」とはどういうことか考えるようになりました。テレビや新聞では、毎日のように悲しい事件や犯罪のニュースを目にします。そのたびに、犯人はどうしてもっと周りの人に相談をしたり、助けを求めたりできなかったのだろう、と思いました。心が満たされず、こ独を感じることが事件につながってしまうのではないか、と考えました。今回の企画を通して、大人も子どもも顔を合わせて声をかけ合い、心を通わせることで気持ちが明るくなり、満たされていくのを感じました。そうして心が元気になると、学校でも仕事でも前向きに頑張れるようになり、社会全体が明るくなっていくのではないか思います。地域のつながりが強くなることは、犯罪を減らす大きな力にもなるはずです。
僕は来年中学生になりますが、この活動を四年生、五年生に引き継ぎ、自分も参加し続けたいと思います。そして、周りの人の心を少しでも動かし、社会を明るくできるような人間になりたいです。そしていつか、地域の人みんなが「毎日がとても楽しいよ」と笑顔で言い合えるような社会をつくることが、僕の目標です。
▼法務大臣賞受賞作品(中学生の部)
「立ち直りに寄り添うとは」
愛媛県・西条市立東予東中学校・三年 藤田 一花さん
私の父が勤めている職場には、年齢や出身、国籍も違う様々な人たちが在籍しています。その中には前科がある人も少なくはないそうです。
三年ほど前、刑務所に服役していたAさんという方が父の職場で働き始めました。作業に慣れるまで時間は掛かったけれど、仕事はとても丁寧で、毎日誰よりも早く出社し、一番遅く帰る生活を続けていたそうです。職場のみんなは真面目で優しいAさんを慕っていました。その頃のAさんに、私も一度会ったことがありますが、柔らかな物腰から、温かい人だと感じました。
ようやく仕事にも慣れてきた頃、Aさんは突然仕事を辞め、誰も連絡が取れなくなってしまいました。後から分かったことですが、Aさんが辞職した理由は、同じアパートの住人たちから退去の催促をされ、それに嫌気がさしたからだったそうです。職場のみんながAさんの辞職に戸惑いました。理由を知った私もその話を聞いたとき、やるせない気持ちになったことを今でも鮮明に覚えています。
Aさんの辞職からかなりの時間が経ち、父は再びAさんと連絡が取れるようになりました。今回、私が社会を明るくする運動の作文でAさんのことを書きたいと父に相談すると、父はAさんとの食事に連れて行ってくれました。久しぶりに会ったAさんは以前と変わらず優しくて、「作文に書いてくれて嬉しい」と、辞職した当時のことをたくさん話してくれました。
アパートでは、周りからいつも白い目で見られていた。近くを通れば避けられ、聞こえる距離で心無いことを言われた。でもそれは当たり前であって、自分がここに住んで申し訳ないと思っていた。そんな中で職に就けることになった。やっと就けた仕事だから頑張りたい。でも人との付き合い方が分からない。不安を抱えながら仕事を続けていたが、職場の人は優しかった。ここで働けて良かった、仕事が楽しいと思えるようになったが、自分が楽しんでいいのかという思いが常にあった。職場の人たちは温かく接してくれるが、アパートの住人たちは自分をよく思ってはいない。だから、毎日一番遅くに職場を出て、歩いて時間を潰し、深夜にアパートに帰る。朝早くにアパートを出て、誰よりも早く出社する。とにかくアパートにはいたくなかった。そんな日々の中で、ある日、父と一緒に私と会うことになった。近所の子どもたちにからかわれたり、保護者の目や態度が気になったりして、自分からは関わってこなかった。だから、私と初めて会うときは怖かった。でも、そんな風に思うのは相手に失礼だ。相手のことを勝手に決めつけるのは、あのアパートの住人と同じだ。そう思って、私と会うことにしたそうだ。
Aさんのこれまでのことを聞いて、私は気持ちを言葉にすることができませんでした。私は父の仕事の辛さを知っています。怪我も多く、体力も精神力も必要な仕事です。毎日誰もいない職場に行き、疲れた体で暗闇を歩くAさんは、どんな気持ちでいたのだろうと、アパートの人たちへの怒りも湧きました。しかし、Aさんの最後の言葉を聞いて、私自身もはっとさせられました。それは、会って話をするまでは私もAさんを「怖い」と思い、服役していたことがあるという良くないイメージで見ていたからです。
私たちは、自分の想像や思い込みで人を判断してしまいがちです。その人のことを知ろうともせず、先入観を持って他者と接することは、いつしか差別や偏見につながります。大切なことは、相手の経歴や過去にとらわれず、今自分の目の前にいる人と向き合おうとすることだと思います。私はAさんと実際に話をしてAさんの優しさを知りました。アパートの人たちも、もっと話をしていればまた違う結末があったかもしれません。
人は何度でもやり直せる。けれど、立ち上がるためには場所と周りの手助けが必要です。Aさんは、
「逃げる場所を間違えず、周りの人、自分を大切にしてくれる人を大切に。」
と教えてくれました。私はこれから、誰に対しても進んで話をしようとすること、しっかりと言葉にすること、そして言葉を大切にすることを心掛け、周りの人たちに寄り添っていきたいと思います。
父とAさんは、今もたまに食事に行き、他愛もない話をするそうです。誰もが互いに、友人として笑いあったり、楽しく食事ができたりするような、そんな明るい社会になることを願い、私も目の前にいる人と向き合って、大切にしていきたいと思います。

