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訟務制度の沿革

旧憲法下(戦前)

戦前の旧憲法の下では,「民事訴訟法第十四条ニ依リ国ヲ代表スルニ付テノ規定」(明治24年勅令第3号)及び「行政裁判法」(明治23年法律第48号)等の定めるところにより, 各省庁が,それぞれ別個独立にその所管・監督する事務に関する民事訴訟及び行政訴訟を行っていました。

訟務制度の創設

戦後,日本国憲法の施行に伴い,国家賠償法(昭和22年法律第125号)が制定され,従来,国の権力行為については,国の公務員が職務上違法に損害を与えた場合でも国は責任を負わない (いわゆる国家無答責)とされていましたが,このような行為についても,損害賠償の請求が可能となりました。また,同時に行政裁判所が廃止され,行政訴訟は,司法裁判所の審査に服することとなりました。

このような事情を背景として,国に対する民事訴訟及び行政訴訟が大幅に増加し,その内容も複雑化することが予想されたことから,国と国民との間の法律上の紛争を適正に解決することによって, 個々の国民の利益と国民全体の利益との正しい調和を図り,法律による行政の原理を確保するため,国の利害に関係のある争訟は,すべて法務庁(現法務省)が統一的・一元的に行う 訟務制度が創設されました。

訟務制度は,「国の利害に関係のある訴訟についての法務総裁の権限等に関する法律」(昭和22年法律第194号)により創設され,同法は,その後,昭和27年に法務総裁が法務大臣に改められるなどの組織改正が行われたことに伴い, 「国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律」(昭和27年法律268号。)に改められました。これにより,国を当事者とする訴訟については,法務大臣が国を代表することになりました (同法1条。例えば,「国」を被告として訴えを提起するときは,訴状の被告の表示は「被告国 代表者法務大臣○○○○(氏名)」となります。)。

訟務制度年表