日本でかつて行われていた陪審制度

日本でかつて行われていた陪審制度
(1)陪審法廷

陪審法廷
横浜地方裁判所陪審法廷
1930年(昭和5年)
関東大震災で倒壊した
横浜地方裁判所を洋風建築物に新築
1943年(昭和18年)
陪審制停止に伴い一時閉鎖される
(2)陪審制度当時の法服

法服
法服
(3)陪審手引・陪審記章

陪審手引
陪審記章
(4)陪審裁判解説
陪審裁判は、国民が司法に参加する制度の一つである。陪審資格者名簿で抽選を重ねて選ばれた12人の陪審員が素人の立場で審理に参加し、犯罪事実の有無を答申する制度である。大正12年に陪審法が制定され、5年の準備期間を経て、昭和3年から昭和18年まで行われた。
陪審裁判に該当する事件
陪審事件は、刑事事件に限定された。死刑又は無期の懲役若しくは禁錮にあたる事件については法律上陪審裁判とされた(法定陪審事件)。長期3年を超える有期懲役又は禁錮にあたる事件については被告人が請求する場合のみ陪審裁判とされた(請求陪審事件)。なお、被告人は陪審を辞退することもできた。
陪審の答申の拘束力
裁判所は、陪審員の答申に拘束されない。したがって、裁判所は陪審員が出した答申を認めず、新しい陪審に付すること(「陪審の更新」という)があった。
陪審判決に対する上訴
陪審の答申を採用して言い渡した判決に対しては控訴は許されないが、適法に陪審を構成しなかった場合など特別の理由がある場合には大審院へ上告することができた。
陪審事件の消長
制度発足から10年も経たないうちに、陪審裁判はほとんど利用されなくなった。
理由については、様々な見解があり、
(1) 裁判官、検事、弁護士の法曹三者は、陪審裁判に対して消極的態度をとったこと。たとえば裁判官は陪審制度を重荷と感じ、陪審請求を取り下げるか、法廷陪審でもそれを辞退するよう勧告することがさかんに行われた。検事は、準備や手続きが煩雑になることから陪審裁判を歓迎しなかった。弁護士もこのような雰囲気を察して被告人に陪審裁判を辞退するように忠告することがあった。
(2) 裁判にかかる費用は、有罪の場合被告人が負担しなければならなかったことで、陪審裁判を辞退する被告人が多かったこと(請求陪審の場合)。
(3) 戦火が拡大する中、労力や費用がかかる陪審裁判が敬遠されたこと等。
などが言われている。
陪審の停止
1943年(昭和18年)4月1日
「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって陪審制が停止される。
なお、 「陪審法ノ停止ニ関スル法律」は、「今次ノ戦争終了後再施行スルモノトシ」(附則第三項)と規定した。その効力は一時停止されたのである。
陪審員資格者(法12条)
● 帝国臣民タル男子ニシテ三十歳以上タルコト
● 引続キ二年以上同一市町村内ニ住居スルコト
● 引続キ二年以上直接国税三円以上ヲ納ムルコト
● 読ミ書キヲ為シ得ルコト
※ 陪審員資格者は、施行前の調査では、全国で178万1232名であった。
(横浜では3万6035名の資格者がいた)
陪審裁判の流れ
(1) 裁判長が陪審員に陪審員の心得を説く(諭告(ゆこく))
(2) 陪審員が宣誓する
(3) 弁護や証拠調べが終わった後、裁判長が陪審員に対し法律上の論点や問題となる事実及び証拠について説示し、犯罪構成事実の有無を評議して答申するように命ずる。
(4) 陪審員は陪審評議室へ入り、評議をして、犯罪事実を認める場合は過半数の意見によって決定する
(5) 陪審長から裁判長への答申
(2) 陪審事件の評議件数は合計484件であった。年度別では陪審法施行の翌年である昭和4年が最も多く143件であるが、昭和5年には半減して66件となり、それ以後減少の一途を辿った。
横浜地方裁判所陪審評議件数
有罪23件、無罪10件、陪審更新3件 ※司法省「刑事統計年報」により判明する限り
※ これらの陪審制度に関する資料は法務省メッセージギャラリーでご覧いただけます。

