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民主主義社会とヘイトスピーチ

 第49回衆議院議員総選挙が公示されました。選挙権を得て,初めて投票に行ったとき,投票を終えて,民主主義社会への仲間入りを果たすことができたのだという感覚に包まれたことを思い出します。もっとも,私たちが民主主義に触れたのは,このような選挙における投票が初めてではなく,例えば,小学校や中学校で生徒会の役員や学級委員を選ぶ場面があったと思います。「演説」や「選挙運動」を経て,学校やクラスの代表を選ぶことで,私たちは,本格的な民主主義社会への参加に備え,いわば「練習」を重ねてきていたともいえるのではないでしょうか。
 
  ところで,こうした「練習」の場面で,もし意見の対立する相手方やグループに対し,一方的にクラスから排除することを主張したり,危害を加えるようなことを言って脅したり,著しく見下すような悪口を言うなどして,その人格を攻撃するという人が出てきたとしたら,どのような事態が生じるでしょうか。個々の児童や生徒の人格や尊厳が深く傷つけられ,場合によっては,非難の応酬や,あるいは沈黙が生まれ,クラスの中に回復し難い分断が生じてしまい,正常な議論や討論はできなくなることでしょう。これは,「本番」でも起こり得ることだと思います。
 
  選挙の場面であろうと,それ以外の場面であろうと,ヘイトスピーチは許されません。
  選挙運動の自由や,表現の自由という大切な権利も,その使い方を誤ると,その基となる民主主義それ自体を壊しかねず,そうなれば,表現の自由の行使それ自体が危ぶまれる事態につながりかねません。表現の自由と健全な民主主義社会を守っていくためにも,自由な議論の前提となる,「ヘイトスピーチ,許さない。」という思いを,私たち一人一人が,どんなときでも忘れずに持ち続けていきましょう。

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