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法教育研究会第5回会議議事録

日時 平成15年11月26日(水)
午後2時~午後4時45分

場所 東京地方検察庁刑事部会議室
午後2時00分 開会


土井座長 それでは,まだお見えになっておられない委員もおられるようですが,所定の時刻になりましたので,法教育研究会第5回会議を開会させていただきます。
 まず,最初に,本日の配布資料の確認を事務局の方から説明していただきます。よろしくお願いします。

大塲参事官 事務局をしております司法法制部参事官の大塲でございます。よろしくお願いいたします。
 お手元にあります会議の配布資料を御覧になってください。資料1が,今日,この公聴会に御出席いただいた先生方の名簿でございます。資料2が,法教育研究会の開催要領でございます。研究会の委員の名簿も付いております。資料3が今日御説明いただく館委員のレジュメ,資料4が橋本委員のレジュメでございます。全部で資料1から4までございます。御確認ください。よろしいでしょうか。

土井座長 それでは,議事の方に入らせていただきます。
 本日は,学校で実際に教鞭をとっておられます先生方と,学校に出向いて法教育の授業を実施されておられます弁護士の方をお招きして,我が国の法教育のあり方についての公聴会を行いたいと思っております。
 本日は,先生方におかれましては,お忙しい中お集まりいただきまして,まことにありがとうございます。
 私は,本研究会の座長を務めさせていただいております土井と申します。京都大学法学研究科で憲法を担当しております。よろしくお願いいたします。
 それでは,本日御出席をいただいています先生方を私の方から御紹介させていただきたいと思います。
 私から見まして左側から,茨城県立岩瀬高校の猪瀬宝裕先生でございます。
 茨城県立下館第二高校の早川尚人先生でございます。
 法政大学第二高校の渡邊弘先生でございます。
 埼玉県北本市立北本中学校の金子千之先生でございます。
 品川区立荏原第六中学校の坂本教喜先生です。
 渋谷区立広尾中学校,関基雄先生です。
 千葉市立花見川第一中学校の日高貞雄先生です。
 筑波大学附属駒場中学校の吉田俊弘先生です。
 西東京市立栄小学校の窪直樹先生です。
 次は,第1回の会合でプレゼンテーションをしていただきました茨城県弁護士会の後藤直樹弁護士です。
 横浜弁護士会の村松剛弁護士です。
 本日はよろしくお願いいたします。
 続きまして,私ども法教育研究会のメンバーを,簡単に私の方から紹介させていただきます。
 先生方の方から見ていただきまして左側から,エッセイストの安藤和津委員です。
 筑波大学教育学系教授の江口勇治委員です。
 文部科学省初等中等教育局視学官の大杉昭英委員です。
 学習院大学法学部教授の沖野眞巳委員です。
 少し遅れておられますが,その次の席にお着きになられますのが日本テレビ放送網株式会社報道局ディレクターの荻原弘子委員になります。
 新日鐵化学株式会社総務部長の唐津恵一委員です。
 最高裁判所事務総局総務局制度調査室長の絹川泰毅委員です。
 弁護士で,日本弁護士連合会広報室長の鈴木啓文委員です。
 司法書士で,日本司法書士会連合会初等中等教育推進委員会委員長の高橋文郎委員です。
 筑波大学附属中学校教諭の館潤二委員です。
 東京都新宿区立東戸山中学校教諭の永野薫委員です。
 法務省大臣官房司法法制部付の西山卓爾委員です。
 兵庫教育大学社会系教育講座助手の橋本康弘委員です。
 主婦連合会常任委員の山根香織委員です。
 以上のほか,私の両側に座っておられますのは,この研究会の事務局としてお手伝いをいただいております法務省大臣官房司法法制部の大塲亮太郎参事官と,丸山嘉代部付でございます。よろしくお願いいたします。
 なお,本日この会議は公開とされておりますので,この会議におきます皆様の御発言は,お名前とその内容が議事録となって法務省のホームページの方に掲載されますので,その点はあらかじめ御承知おきいただきますようお願いいたします。
 さて,本日は,この公聴会におきまして御出席いただいている先生方から,我が国の法教育のあり方について御意見をお伺いしたいと思っておりますが,その前提といたしまして,この研究会の館潤二委員と橋本康弘委員のお2人の方から,御自身で御実践されておられる法教育の一例をまず御紹介いただきたいと思います。
 館委員からは,現在教鞭をとっておられます筑波大学附属中学校で,以前,研究授業として実施された「多数決は正しい決定方法か」という授業を題材にお話しいただきます。その後,橋本委員からは,橋本委員は現在兵庫教育大学で助手をされておられますが,本日は橋本委員が以前広島大学附属福山中学校に勤務されていたときに実施されました「学校監視カメラ事件」という授業を題材にお話しいただきたいと思います。
 両委員の方から30分ずつ程度お話をいただいた後,10分ほど休憩をとりまして,その後,皆さんで意見交換を行いたいと思っております。意見交換の際には,両委員の報告内容についての質疑応答はもちろんのこと,それぞれの先生方が現在お考えになっておられる法教育のあり方について御自由に御意見を賜れればと思っております。
 それでは,最初に館委員の方から報告の方をお願いいたします。

館委員 よろしくお願いします。多くは配布しました資料をもとに話をしまして,途中で授業のVTRを,編集したものですけれどもそれを見て,最後に,この授業の全体的な計画なども含めた話をできればなというふうに思っております。
 資料の方は,資料3ということで3部あると思うのですけれども,それをA,B,Cの順番で番号をふっておいていただけると,説明の都合上助かると思っておりますので,よろしくお願いします。
 まず法教育とのかかわりを少し自分自身で振り返ってみますと,筑波大学の江口委員や弁護士会の鈴木委員などが,本校の3年生のクラスを使いまして法教育に関する授業をなさいまして,それが直接法教育にかかわるきっかけになったわけです。私自身は公立15年,そして,本校筑波大学附属中学校13年ということで,ほぼ公立中学校と筑波大学の附属の中学校ということで半々ぐらいの年月,社会科を教えてきています。
 今回発表する授業が,法教育と言っていいのかどうか,私自身はよくわからない面はありますが,学習指導要領の内容でいいますと,基本的人権の尊重とか法の意義に関するものです。この学習指導案等の具体的な内容を見ていきますと,教科書にはほとんど無いようなものも入ってくるわけですけれども,学習指導要領の趣旨は十分に反映されていると思います。
 「現代の民主政治とこれからの社会」という内容が学習指導要領にあるわけですけれども,そのアが「人間の尊重と日本国憲法」というものです。それを,私のこの資料でいいますと15時間扱いで学習指導計画を立てまして,そのうちの1時間で多数決の問題を扱いました。
 そこでまず,この授業を構想した自分自身の問題意識というようなものを少し話していきたいと思います。Bの資料,「憲法・人権学習の新たな構想」ということが書かれていると思いますが,その1ページ目,2ページ目をお開けください。そこに細かなことが書かれているわけですけれども,簡単に言うならば,1ページ目の下から5~6行目に「生徒の生活から憲法や人権を考えていきたい」という言葉がありますけれども,それが基本的な考え方であります。
 そうしたときに,彼らの生活というものが,生徒の生活というものが,法との関係でどのような課題や問題を持っているかというようなことを2ページ目の上のあたりに述べたつもりであります。上から2行目,「現在の中学生の認識や意識・行動を見ると,私事への関心の高さと公共への関心の低さ」ということであらわすことができるのではないかなと思っております。
 先日,この研究会で清永先生が,いわゆる社会的抑制力ということで子供同士のつながり,子供と社会とのつながり,子供と家庭とのつながり,子供と地域社会とのつながりの大切さをお話しになったと思うのですけれども,私もその点に関して,子供がさまざまな人間関係において,そのつながりを非常に希薄にしているなという問題意識を持っております。
 それから,(2)というふうに書かれたところでは,2ページ目の真ん中より下ですけれども,子供が法に対してどういう思いを持っているのかということについて,実際にアンケートをしてみました。これは自由記述で,「法という言葉を聞いたときに,どのようなことを感じますか」と聞いておりますが,これに対する答としては,「守らされている」,「縛られている」,「決まりとして与えられているもの」など,これを私は「束縛」という形でまとめてみたのですけれども,それが43%を占め,「疎遠」であると感じている生徒が37%を占めています。それらを両方合わせますと80%を占めるというような結果になっております。つまり法は生徒にとって遠い存在であるし,強制されるものであるという,そのような認識を持っているということがわかりました。
 その結果につきましては,資料のCをご覧ください。資料のCに「アンケート結果」という表紙のところの1ページ目,2ページ目,今述べたものの詳細が載っていると思います。自由記述でそれぞれ書きまして,生徒が書いたものをこの五つに分類したその結果であります。延べ人数で計算されております。本校は205名の生徒がおりますので,このような数になりました。
 それから,2番の方,右側の2ページ目ですけれども,「法について次のような考え方に対して,あなたはどれが大切だと思いますか」ということで,順番を付けさせた結果が載っていると思います。この結果を見ますと一番多かったものは,「法は,人々の命や財産を守るためである」というふうに答えた生徒が2.2となっておるでしょうか。つまり,これは数字が低いほど高い評価を得ているということなわけですけれども,それが1番でありまして,2位が「法は,世の中の乱れを防ぎ,国民が安心して生活するためのもの」,3番が「法は,国民の守るべき決まり,義務を決めるものである」と。4番は「法は,国や政治の仕組みを決めておくためのもの」というようなとらえ方をしておりまして,先ほどの自由記述とは違うものの,国民の義務を定めたもの,あるいは世の中の乱れを防ぐための決まり,そういったものとして法をとらえている面がかなり強くあることがわかりました。
 その資料の12ページ,13ページを御覧ください。これは,文京区内の中学校の先生方にアンケートをしまして,今日のビデオで取り上げます「話し合い-多数決」といういわゆる会議,それに対して今の中学生はどのような状態にあるというふうに感じているかというアンケートをとりました。右側の12ページ目から,先生方の自由記述の御意見が載っているわけですが,その幾つかを拾っていきたいと思っています。
 12ページの上から3つ目のところに,「無関心層の数が多い」というような記述があると思います。話し合い-多数決などの会議に対して,子供たちは関心が低いという記述が多かったです。
 それから,先生方は子供たちに対して,「自分自身の意見をしっかり持って欲しい」,つまり「周りに流されないで欲しい」と言っているわけでして,現実としては周りの意見に流されがちな生徒が見えてくるわけです。そして,「思っていることを発表するのをためらいがちな面がある」とか,13ページに行きますと,上から六つ目あたりでしょうか,似たような内容にはなっておりますけれども,先生方が子供たちに持っている印象として,「自分の意見を言わない。結論に至るまでの過程としての話し合いの大切さを理解していない。すぐ決定するなどして,結論を出そうとする。自分の意思というより,周りを見て判断している生徒が多く見られる」と言っています。
 それから,「会議を進める力が身に付いていない。小さいころから話し合うことの訓練がなされていないというふうに思われる」というように述べている先生方が多かったです。
 次に最後の「話し合い-多数決の訓練」ということに関しましては,Bの資料の7ページを御覧ください。Bの資料の7ページに学習指導要領に述べられている特別活動の内容の変遷を追ったものがあります。そこでは,話し合い-多数決というような学級会活動に関する扱いが,どのように変わってきたのかということを見てみました。その内容というのは,ここで詳しく触れるわけにはいかないわけですけれども,簡単に言えば学級会活動に関する扱いが軽くなってきているということが,この表から読み取れました。
 そして,9ページ,10ページには,実は国語の教科書にも話し合い-多数決についての記述,あるいは資料がずっと載っておりまして,ここには昭和44年,53年,平成元年の学習指導要領の抜粋が載っていると思うわけですけれども,実は53年から国語の学習指導要領からは「話し合い」ということが消えています。つまり話し合い-多数決というような問題は,学級生活において非常に重要なものであると先生方は思いながらも,特別活動や国語の授業からは扱いが軽くなったり消えてしまっている。これに対して危惧を感じながらも,我々中学校教師は,なかなかそれを育てていない現実があるかなということを感じているわけです。
 同じ資料の3ページにお戻りください。そうしたときに我々は,社会科の公民的分野で,特に公民的資質の育成ということを強く願っているわけですけれども,その際,3ページ目の真ん中あたりでしょうか,リンゼイ氏の言葉を引用しておきましたけれども,公民的資質の育成といったときの中心に民主主義の考え方をしっかりと身に付けさせるということがあると思うのですけれども,彼は,「民主主義にとって大切なことは,反対の立場を認め,互いに異なる意見を持つ人々の平等な参加を保障すること,そして各自の見解が明白に表明される十分な討議によって集団の共同活動の原則を決定し,そのことに全員が貢献すること」,これが必要なのだというふうに主張しております。そして,「このような共同社会における集会において,意見の一致が見られず,投票が必要になった場合には,その投票は平等でなければならず,それは社会の共同目的に対する責任をすべての人が平等に分かち,分担しているという事実に基づいているのだ」と述べております。
 先日,土井座長の方からこのような言葉がありました。「自分のことは自分で決めていくということが人権の大事な考え方である。そして,みんなのことはみんなで決めていく,これが民主主義の基本だ。そして,決めたものがルールになり,法になっていく」というお話があったかと思いますけれども,それに通ずる内容だなと思いました。我々社会科教師が,こういったものをいかに育てていくかということが大きな課題であると強く感じているわけでありまして,このような問題意識にもとづいて,これから報告する授業を行ったというわけであります。
 細かな学習指導計画については,ビデオの後に説明したいと思います。では,ビデオの方をよろしくお願いします。
 ビデオの中で,どのような板書事項があるかといいますと,それは資料Aの一番最後のところに板書事項を拾い出してみましたので,御覧ください。少し見えにくい,聞きにくいところがあるかと思いますけれども,御了承下さい。

〔ビデオ上映〕

 「話し合い-多数決は正しい決定方法か」の板書事項にそって説明したいと思います。
 最初に書いているのが,集団での決定方法にはどのようなものがあるかということで,その一つにはこの授業のテーマである多数決があると書いております。
 では,それ以外に何があるだろうかということで,全会一致とか,じゃんけんだとか,くじ引きなどがあるという意見がこの後出てまいります。
 この授業で実際に取り上げましたテーマである話し合い-多数決というものでありますが,具体的場面としましては学芸発表会,本校ではそう呼んでいるわけですけれども,文化祭のことで,文化祭でのクラスの出し物を何にするかということを取り上げて,その実際の話し合い-多数決がどこまで,自由かつ平等に行われているかどうかを考えるというのが授業の大きな流れであります。
 この4つほどの意見が出た後で,では,集団での意思の決定には何が必要かということで,多数決という確認をした後,実際にこのクラスで行われた話し合いの記録をもとに,出し物に関する話し合いの経過を今たどっております。
 これは,実際は,情けないと言ったら生徒に失礼ですけれども,文化祭の出し物でアリスと赤ずきんのどちらをやるかという内容でありまして,それが18対17の,本当に1票差で決定したということがありまして,それを今取り上げているわけです。
 そこで,板書事項の3に「発問1:話し合い-多数決の問題点」について,どういうところに問題点を感じているのかということを,この後,4人1組のグループにさせまして,そこで話し合って,その問題点を板書させるというような活動にこれから移ろうとしているところです。
 実際,このクラスでは,赤ずきんに決まるまで4回にわたる多数決を行っておりまして,そうやって集団の意思を決めているよねということの確認と,どうしても話し合い-多数決では避けられない問題があるわけで,これは,よく言われるような少数意見が尊重されないということであるのですけれども,このことをまず考えてもらいたいということで,このような時間を設けました。
 途中はカットしてありますが,全部で10の班のうち,話し合いが終わったところから,4つの班が出てきて書いたという,今はその状況であります。話し合いには大体4人から5人あたりが適切かなということを経験的に思っております。
 そして,その出てきた意見を,みんなでまとめ分類するという作業をしております。ア,イ,ウとか書いておりまして,これは内容的にアの内容と同じだなというふうに言いながら,印をつけているところで,このような分類作業の中でまとまったものが3番の板書内容ということであります。
 この場面はウの内容に関して,多数決で決定した内容が正しいかどうかわからないということを,この女子生徒が今言っているところです。
 生徒が出した意見というものをどのようにまとめていくか,場合によっては削らなければいけない意見が出る場合もありまして,実際に研究授業の場でやっていくというのは,本当に冷や汗ものでありました。このときに出た意見というのは,割合と整理しやすいものであったので,この5つにまとめることができました。
 ほとんど私の授業といいますのは,このような問答法といいますか,問いかけ,そしてみんなで考えて,そこで話し合っていく。場合によっては,少数で話し合った方が様々な立場からの,様々な視点からの意見が出るなと思ったときは班活動を行いますけれども,基本は今このような形でやっている授業の方法が主流であります。
 少し最初の説明の時間が長かったので,時間が無くなってしまったので,途中ですが,このあたりでビデオを終わりたいと思います。

〔ビデオ終了〕

 この時点で,板書の内容の3まで来てます。次に,その話し合い-多数決の問題点の中から,それを行っている集団自体の問題なのか,それとも,話し合い-多数決そのものについて回る問題なのかというようなことを4番で問いまして,そして,最後に5番目では,その中で一般的な問題点とされたア,ウ,エについて,少数派というのは必ず出てくるわけだから,どのような話し合いが行われたら,その結果に合意できるのだろうかということで,そこにあるようなA,B,C,D,Eというような内容を生徒の中から導き出すことができました。最終的にはこのA,B,C,D,Eの内容を,自由と平等という言葉であらわしたらどうなるだろうかという問いかけを最後にしまして,この時間は終わりになっております。
 それでは,この授業をどのような指導計画の中に位置付けたかを,資料Aの1枚目に載せておきました。1時間目で,先ほど問題意識のところで出しましたアンケートを引用しまして,法は個人の自由を制限するのだろうかという投げかけをしまして,これは班ごとに考えさせ,答えを出させました。その結果はどこにあるかといいますと9ページであります。
 Aの資料の9ページです。「法は個人の自由を制限するかどうか」について,10個の班がそれぞれこのように,制限する派,制限しない派に分けることができました。中には,両方の意見を書いた班もありました。これを見ると分かるのですけれども,班によって自由の定義が違っているということに気が付くわけです。
 そこで,2時間目は,では,クラスで自由の定義というものをしてみようということで,10ページをお開けください。「自由とは何か」ということで,そこに1組と5組の例を載せておりますけれども,それぞれこのような定義をしていくという活動を行っているわけであります。
 そして,3時間目,4時間目は平等の問題を取り上げました。平等というと生徒たちは,差別しないことということはもう当然分かっているわけですけれども,何を不平等と断定するのか,何が平等で,何が不平等なのかということは,具体的場面に当てはめて考えると非常に難しいわけでありまして,11ページに,「あっていい違い,あってはいけない違い」,あなたはこの違いはあっていいと思うのか,あってはいけない,不平等だと思うのかということを聞い手います。問いは1から10までありまして,お酒の問題,バレンタインデーの問題,A君はチョコレートを5個貰っているがB君は貰わなかった,こういうことはあっていいのか。このあたりは微妙な反応が出るところですけれども,そういう問題を幾つか取り上げまして,班の中で話し合わせました。
 それが,12ページにありますような結果になったということであります。これは班の決定でありまして,個々人には手を挙げさせておりません。10班のうち,Aのあっていいというのが,例えば飲酒の問題であると8つということです。バレンタインデーも8班。これが分かれるのは4番,このあたりが結構意見が分かれるところです。Cが多いというのは,生徒たちが悩むところなのかなというふうに思っています。国際的な問題だとか,障害者の問題,男女の問題,能力給の問題などを,自分なりの問題意識の中で引っかかってくるものを取り上げまして,生徒たちに平等の問題,不平等の問題を考えさせたというのが11ページ,12ページの内容であります。
 この内容は,先日,磯山恭子準研究員の論文の方で,たしかあれは「アイム・ザ・ピープル」の内容だったと思いますけれども,法,権力,正義,自由,平等というような民主政治における重要な概念を取り上げ,法,権力,正義,自由,平等に関して系統的に学習を積み重ねていくというようなことが法教育プログラムの一つとして紹介されたと思うわけですけれども,そのあたりの自由とか正義の学習とよく似た展開になっていると思いました。基本的人権といったときの核となるこの自由と平等という概念を生徒たちにどう理解させていくのか,具体的な生活において自由と平等は果たして達成されているのかどうかを生徒に考えさせることを意識した授業を作ってみました。
 それから,5時間目,6時間目については,クラスでの自由の侵害の問題,そして6時間目は,先ほど言った多数決は正しい決定方法なのかということ,そして,7時間目になりますと,その自由と平等の問題を権利と義務という面から考えさせる授業を展開してみました。
 資料として15ページにアメリカの小学校の児童規則を載せてありますが,これをおもに使いまして授業を行いました。この実際の内容は16ページに載せておきましたが,深谷昌志さんの『孤立化する子どもたち』に載っていたアメリカの小学校の児童規則の部分を,前半と後半に分けまして,16ページで見た方がわかりやすいと思いますので,そちらを使って説明しますが,例えばこれは小学校の生徒たちが決めた規則では,「教室の中で,私は幸せで,温かく扱ってもらう権利を持っています。このことは,だれも私を笑ったり,私の気持ちを傷つけてはいけないことを意味します」という規則の書き方で表されています。つまりこれをよく吟味すれば,最初に権利が主張されて,次に,その権利を保障する周りの人々の義務を定めたものなのです。こういった形の児童規則というものを小学校の段階で作り上げている。このあたりがアメリカにおける権利だとか自由などの考え方に対するとらえ方なのかなというふうに思うわけです。
 多分日本の小学校では,こういう規則を考えようと思ったらLet’sの形でやるのでしょうね。きっと,「みんなが幸せにくらせるため,お互い温かくしよう」という表現に多分するのだと思うのです。でも,それをあえてこの資料を使いながら,我々が何かができる権利があり,自分が自由に意見を言えるという権利がある,そういう自由があるということは,そのことを周りの者がしっかりと守っていく義務があるのだということを,これは,話し合い-多数決の話のまとめの最後にこれを使ったわけですけれども,その権利と義務の双方性の問題を取り上げたつもりです。
 先日,嶋津先生が論文を紹介してくださった中に,「権利に伴う直接的義務とは,権利者の周りの人々がその権利を尊重する義務のことである」という文章がありましたが,この内容と同じことをこの資料によって学習することができたらと思って授業を行ってみました。
 少し長々と話してしまいましたけれども,大まかに言いますと,一応そのあたりまでが,自由だとか,平等だとか,権利だとか,義務だとかいったことに関する授業であって,その後のところの指導案につきましては,もう少し大きく日本国憲法全体をとらえて,日本国憲法はどのような内容が書かれているかという話から,日本国憲法の大原則と,憲法とはそもそも何なのかというようなことを考えさせる授業を行いました。そして,全部で15時間の指導案を作ったわけであります。
 最後に,この憲法の授業のことで少し自分なりに工夫した点を紹介させていただきますと,憲法については,私が必ず行うのは,日本国憲法には103の条文があるわけですけれども,それを八つの章に分けるとしたら,どういう内容で分けることができるかという授業です。実際には11の章で分けられているわけですが,つまり憲法とは何かということを直接問うのではなく,憲法の柱となっている章の名前というのは何だと思うか,8つ考えられるものを挙げてごらんという授業を行うのです。そうすると,日本の三大原則はどこに規定されているのか,この三大原則の後の4章以下は何が規定されているのかということを見ていけば,国会,内閣,裁判所,いうならば国の政治の仕組みがそこには述べられているわけですので,そういうことにより憲法とは何かがそこからも分かってくるというような授業を毎回行っているわけです。
 以上,少し時間をオーバーしましたけれども,「憲法・人権学習の新たな構想」ということで考えた指導案を紹介させていただきました。以上です。

土井座長 館委員,どうもありがとうございました。
 それでは,続きまして橋本委員の方,お願いいたします。

橋本委員 よろしくお願いします。資料4というものをまず見ていただければと思います。
 「日本の法教育改善の方向性」というふうに銘打ったものですけれども,私が最近,法教育に関してお話ししたりプレゼンテーションとかパネリストをする場合に使うレジュメを,そのままお持ちしております。今日,これは3回目になるわけですけれども,そのお話しする日本の法教育の改善の方向性の中で,今日は特にレジュメの3の「法授業改善の方向性」というところに特化して,そこに取り上げられる授業を,ビデオを見ていただきながらお話しさせていただければというふうに思っています。
 レジュメの方の説明を簡単にしたいと思いますが,1の「日本の法教育の実情」と2の「日本の法社会の実情」というものについては,これまで法教育研究会の方で議論になってきたことですので,ここでは話を割愛させていただければというふうに思っています。1と2に関しては,私の法教育に関する問題意識が書かれているというふうに御理解いただければというふうに思います。
 3ですけれども,「法授業改善の方向性」というところに移りたいと思いますが,私が法授業の改善をする場合,どういうふうに考えたらいいのかということで,「ルール形成というものを基盤とした授業」が必要なのではないかというふうに考えています。そのルール形成というのはどういうものかといいますのが,(1)に記させていただいております。これは問題性の高い社会的状況(法的問題)に対して,合理的な解決過程を通して,トゥールミン図式による主張の正当化を踏まえ,クラス社会の中で検討・合意する中で問題解決策を考案する。そして,最終的に社会において通用する新たなルールを作成することということです。
 これだけでは何のことやらよくわからないと思いますので,次のページを御参照ください。ここで取り上げられています法授業ですが,「(2)紛争解決的法授業」と言われるものと「(3)制度構築的法授業」と言われるものになります。今日ビデオを見ていただくのは紛争解決的法授業というものになります。
 (3)の制度構築的法授業についても若干説明させていただければと思いますが,これは資料2というものになるのですが,後ろです。小さい文字で資料2と書いてあるのですが,「授業計画 司法制度を考える」,これが,私が作りました制度改革,制度構築的な法授業というものになります。制度構築的法授業に関しては,またレジュメの方に戻っていただければと思うのですけれども,教材としては二面性を持つ制度を取り上げていく。その二面性というのは何かと申しますと,制度の理念と実態がかけ離れている,また,制度のよしあしが議論となるもの。さらには,制度に何らかの問題を抱えているもの,機能不全に陥っているものというものを教材として取り上げて,その制度に関して,制度を理解し,分析し,評価し,そして新しく制度を作り直す。こういうものが制度構築的法授業と位置付けているものです。先ほどお示ししました司法制度を考えるというこの授業は,こういう形,(1)と(2)の段階で授業が作られているということになります。
 もう1枚レジュメをおめくりいただければと思うのですが,今度は授業レベルではなくて,単元レベル,そして,さらに大きくカリキュラムレベルではどういうことが考えられるのかということをお示ししたのが,4の「法カリキュラム改善の方向性」と言われるものになります。これは,私が分析しましたアメリカの法教育のカリキュラムが8つあります。その8つのカリキュラムを分析しまして,表1のような枠組みの中で位置付けられるのではないかということをお示ししたものです。
 その8つのアメリカのプロジェクトについては,後ろから2枚目,資料3というものがあると思います。ちょうど横にして見ていただければと思うのですが,「アメリカ法関連教育8プロジェクト」という,この8つのプロジェクト,これはカリキュラムですけれども,初等と中等で用いられる8つのカリキュラムの全体の概略をここで示させていただいております。この一番上の憲法の学習とか,アメリカにおける刑事司法,法と歴史における冒険などの8つのカリキュラムを分析した結果,先ほどお示ししたレジュメの3ページの表1という形に示すことができるということになります。
 今日の本題ではございませんので,これについては,また時間がありましたらお話しさせていただくということにさせていただきまして,今日の授業になりますけれども,紛争解決的法授業についてお話ししたいと思います。
 レジュメの2ページを御参照ください。「紛争解決的法授業」というのは,教材として法的葛藤問題と言われるものを取り上げるということになります。法的葛藤問題と申しますのは,社会の中で起こっている問題状況,その問題状況はいわゆる法的な価値が対立して起こっているという状況があります。例えば,ここにも書きましたけれども,宗教の自由と公教育の宗教的中立性が対立した「剣道拒否事件」と言われるものを授業の題材として用いたことがあるのですが,このような法的な価値の対立した状況を教材として取り上げるということになります。
 これから見ていただく学校監視カメラ事件というのは,プライバシーの保護と治安の維持という二つの価値が対立した問題状況となっております。
 そのような問題状況をどのように子供たちに解決させていくのかという学習過程が(2)になります。これが法的決定と言われるものです。法的決定というのは,表でここに示させていただきましたけれども,まず,事実を確定します。そして,問題状況を把握するためにいろいろな視点というものを設定しておいて,その視点に沿って,生徒は問題状況を把握していくということになっていきます。そして,問題状況を子供なりに把握した後で,その問題を解決するために便益・コストを考える,関連視点を考える,そして問題解決策を最終的に子供たちに確定させて,子供たちに討論をさせて,社会的な合意を経て最終的意思決定を行うと,こういう段階になっています。
 実は,これはアメリカのファンデーション・オブ・デモクラシー,今日左後ろの入口のテーブルの上にも教材が置いてあると思いますが,ファンデーション・オブ・デモクラシーの教材の構成の原理が基本的にこの法的決定の枠で実は作られているということをつけ加えさせていただければと思います。
 それでは,授業について見ていきたいと思うのですが,その前にもう一つ説明しないといけないのは,その授業の中に出てくるのは,その上にありますトゥールミン図式と言われるものです。これは,子供たちが自分たちの主張を正当化するための道具です。例えば右上に自分たちの主張を書く,左が事実です。その事実に基づいて主張が行われ,そして,その主張する理由がその下に来て,その理由を裏づける法律が一番下に来る。こういう表で,これをトゥールミン図式と言うのですが,このトゥールミン図式を用いて子供たちが問題を解決していくということになっています。
 説明だけではよくわかりにくいかと思いますので,ビデオの方を見ていただければと思います。これからビデオを流しますけれども,皆さんのお手元に配布してあります指導案がございます。「学校カメラ事件」という指導案,授業計画がございますので,これを御参照いただければと思います。
 さらに,板書が少し見にくいので,板書の再現を一番後ろにつけておりますので,あわせて御参照いただければと思います。
 もともと,授業の方ですが,45分で行ったものですけれども,事務局の方で13分程度に編集しております。場面が幾つか飛びますけれども,私が簡単に解説しながら進めていきたいというふうに思います。
 この授業ですが,まず,指導案の方を御参照ください。まず,最初に,私の方から当日の授業のメインテーマでありますプライバシーについて簡単に説明していきます。皆さんのお手元にあります板書の再現にもありますとおり,プライバシーが,私事,私生活について他人の干渉を受けない権利であり,憲法13条の幸福追求権から導かれるものと説明しております。そして,授業に入っていくということになります。
 それでは,ビデオの方をお願いします。

〔ビデオ上映〕

 これは学校カメラ事件の内容を説明しているところです。お手元の資料を御参照ください。
 ちょうど今,展開2,この部分をやっている段階になります。
 これは,も監視カメラの賛成派,反対派の意見を出させているところです。
 監視カメラに賛成の人もいます。
 この生徒は,場所によっては設置をしてもよいと発言しましたので,賛成か,反対かを決めた上で改めて意見を言わせようとしているところです。
 今ちょうど,監視カメラ反対の生徒の意見を言わせているところです。反対の意見としては,そこに板書している内容を生徒が言っています。
 これから,それぞれ監視カメラの賛成派,反対派の,今申しましたように良い点,悪い点,便益,コストを考えさせているところです。
 反対派の便益として,生徒個人個人の会話が保障されるということが出たところです。
 それで,これは便益のところにプライバシーが奪われると生徒が発言したので,それを書きかけたのですが,生徒から指摘を受けて,プライバシーが守られるということが便益だというふうに書きなおしているところです。
 監視カメラの反対派のコストは,監視カメラを設置しないと暴力事件を無くすことは難しいと,無理だということです。
 これから,今度は資料の展開3に入ります。まず,監視カメラ設置について,事前に保護者や生徒に説明がなかったことで,適正手続の問題が生じるのではないかということを説明しています。
 さらに映像が省略されていますけれども,この後,監視カメラが音や映像を記録・保存できる機能を持っていることに着目しまして,肖像権の侵害になり得るのではないかということも説明しております。これは板書の再現にもありますので,御参照ください。
 最後に,当日の授業で出てきた様々な要素を考慮した上で,生徒なりの政策を考えさせていく流れです。
 この生徒は,ダミーカメラを付けたらいいのではないかという政策を提案しているということです。財政上の負担もないし,プライバシーも守られるからだということを理由に主張しています。
 これ以外の政策ですけれども,録音のできない映像記録のみの監視カメラを置くべきだという主張もこの授業では出てきますし,監視カメラ自体を置かずに,先生がトイレ等を見回りをして,見つけた場合,厳罰に処すという,一罰百戒的な考え方で政策を作るという生徒もいました。

〔ビデオ終了〕

 以上,これで授業を見ていただきましたけれども,この教材ですけれども,これはあくまでも研究授業で行ったものでして,投げ入れ的に行った授業です。ですから,特別な授業という形で作らせていただいたものなのですが,普段の授業であれば,新しい人権の領域に位置付けて行うことが可能ではないかというふうに思っているものです。
 また,この授業ですが,少し動きがなかったというふうに思われる方が多いと思いますが,本来,2時間で行う授業で計画しています。クラスの中で政策を作るときに,班ごとで議論をして提案をする。そして,それぞれの班の提案を批判していくという作業が間に入っていく,特に最後の部分に入っていくわけですが,その部分は,研究授業が1時間しかありませんので,2時間目は割愛させていただいたということになっております。本来の授業とは少し異なるものなのですが,参考になったかどうかわかりませんけれども,私の報告の方はこれで終わらせていただきます以上です。

土井座長 どうも,橋本委員,ありがとうございました。
 それでは,ここでいったん休憩をいたしたいと思います。休憩時間中に,少し話がしやすいように規模を小さくするために机を移動させていただきたいと思いますので,その点は御協力のほど,よろしくお願いいたします。
 また,今,橋本委員からもメンションがございましたが,先生方の左後ろの入口のテーブルのところに,諸外国の法教育の教材を並べておりますので,ぜひ御覧いただければと思います。こちらの方は,研究会の沖野委員,鈴木委員,それから事務局の御協力を得て集めていただいたものを,展示しているものです。
 それでは,10分ほど休憩ということで,3時20分から再開させていただきたいと思います。

午後3時10分 休憩
午後3時20分 再開

土井座長 それでは,会議の方を再開いたしたいと思います。
 意見交換に入ります前に,簡単に私の方から本日の公聴会の趣旨等について説明をさせていただきます。
 御承知のとおり,この法教育研究会では,我が国,あるいは諸外国におきます法教育の現状あるいは問題点について検討いたしておりまして,それをもとにしまして,これからの我が国の法教育の在り方について議論を進めていきたいとしておるところでございます。それで,本日,先生方にお越しいただきましたのは,現場で実際に教鞭をとられておられるという立場から忌憚のない御意見を頂戴して,今後の本研究会の議論,検討をさらに深めていきたいという趣旨でございます。
 そういうこともありまして,これからの意見交換に当たりましては,先ほどのお2人の委員からの御報告に対する質疑,御意見の方はもちろんでございますが,それだけではなくて,そもそも現在行われている法教育に関する御意見,現在以上の内容のものが必要なのかどうか,また,実際そういう教育が可能なのかどうか,あるいは法教育を通じて生徒にどのような能力を付けさせていこうとすべきなのか,あるいはその際にはどのような内容のどのような方法での授業が望ましいのかといったような,非常に幅広い観点につきまして御意見をいただきたいと思います。
 ただ,前提としまして,法教育という言葉自体が必ずしも馴染みのある言葉ではございませんし,また,現在まで実際にお使いになっておられる方によりまして意味が多少違って用いられている場合もあろうかと思います。ただ,この研究会の場におきましては,それほど厳密に定義して行っているわけではございませんで,社会的なルールというものの理解から憲法教育といったものを含めて,法や司法についての教育を幅広くとらえる形で用いておりますので,その点については御理解いただいた上で自由に御発言をいただければと思っております。
 もちろん今日は公聴会ということで先生方にお越しいただいているわけですけれども,委員の方からもいつもどおり積極的に御発言をいただければと思います。
 それでは,どなたからでも結構ですので,御質問,御意見等をお出しいただければと思います。いかがでしょうか。
 まず,最初に,両委員からの御報告にありましたような授業の内容について御覧になられての感想の方を伺わせていただければと思いますが,いかがでしょうか。
 最初は私の方から指名をさせていただくということになるかもしれませんが,中学校での授業ということで,まず,関先生,今の授業等を見られて,御感想,あるいは御意見等,いかがでしょうか。

関先生 館先生の方からお話がありましたけれど,私も子供たちに法律をどう思うとか聞いてみると,やはり法律とか裁判所というと,厳しいとか,守らされているというふうなことが出てきていて,なかなか自分たちの生活を良くしていくというか,権利を守ってくれるところとか,何かそういったようなプラスのイメージとか,そういうものがなかなか持てていないなということを感じています。
 なかなかここまできちんとして,時間も長い時間は取れないものですから,できないのですけれども,身近な自分たちの,教科書に書いてあるような法律用語とか何か憲法とかにいく前に,もっと身近なところの事例というものを扱っていくことが,やはり子供たちにとっては,法律というかそういうものが身近になっていくのかなということは感じています。ですから,今報告があったような授業というのをどんどんやっていかないと,なかなか,ただ子供たちの中では,法とかそういうものの理解とかが深まっていかないのではないかなということは,授業をやりながら感じているところです。

土井座長 どうもありがとうございます。
 今の点,ほかの先生方はいかがでしょうか。日高先生はいかがでしょうか。

日高先生 実際,法ということをメインに授業をやるということ,それは3年生の公民になって初めて行うことであります。
 ただ,それまでに,中学生は例えば特別活動の中の学級会活動,これは指導要領の中にもありますけれども,社会人としての一員という文言がありますが,そういう中でやはりルールを守って生活するということについて,特別活動の中で子供たちはともに学ぶということをしています。
 それに,中学校3年生になって公民という中で,法の意義とか,その辺あたりと相まってルールがやはり作られていくということを学んでいくわけです。そのときに,例えば人権を学ぶときに裁判を題材にして,本格的に司法制度というものを学んでいくというのが今の現状だというふうに思います。
 今日,館先生の授業を見せていただいて大変勉強になったわけですけれども,多数決について子供たちが議論しながら,自分たちでプラス,マイナス,どうしなければいけないのか,どういうふうに自分たちで決めなければいけないのかというような授業を,何とか時間をとってやっていくべきだなというふうに思います。どちらかというと,公民の授業の中で本当に流れるように終わってしまう部分なのですが,そういったところをきちんとやっていくことが,本日の法教育といったところを意識して授業をやることになるのかなというふうに思っています。非常に参考になりました。

土井座長 ありがとうございます。
 身近な事例をどう用いるかという点で,中学校の段階,あるいは小学校の段階,高校の段階,それぞれ違うのかもしれませんけれど,高校でもやられる場合,今の中学校の授業のビデオを見られて,どういう印象を受けられたでしょうか。高校の先生の方,猪瀬先生,いかがでしょうか。

猪瀬先生 中学校の館先生の授業も,高校でやることを考えたときに,高校でも難しいなというふうに正直思いまして,感心したわけです。高校になってきますと,かなり法的にはいろいろな年齢が出てきますので,扱う題材は出てくると思いますけれども,授業を実施する際にはやはり時間が無いというのは切実な問題であります。
 実は私は昨日,地方裁判所に生徒を連れて傍聴に行ってきたところなのですが,最近,道路交通絡みの事件が多くて,昨日もそういった事件を傍聴しました。生徒たちはバイクの免許は取れるということについて,自分は取る権利があるとか,免許を取るのは自由だとか,先ほどの館先生の平等の中に確か免許の件があったかと思いますけれども,高校生は取れるとか取れないとかという話になると,免許を取れるという側面にすごく子供たちは意欲的になるというか,正に関心があるのでしょう。けれども,裁判所に行きますと,無免許で乗ったり,あるいは飲酒運転だったり,いろいろな意味でルール違反をしていて裁判になっているので,そうした事件を傍聴して裁判所を出てくるときに,生徒たちは免許にはものすごく責任があるのだということに気が付くというか感じるわけです。やはり無保険で乗ったときに,相手に被害を与えたとしたらあなたは賠償できるのかとか,補償できるのかというように,免許を取るという一つのことを通しても,子供たちは法的に生きているということを確認する,そういうきっかけになったと思うのです。
 法教育というのはいろいろなとらえ方があるでしょうけれども,やはり法をめぐるいろいろな領域があるでしょうし,実際に授業をするときにもいろいろな方法があるでしょうし,今日のように授業を教室でやることももちろん多いでしょうけれども,私としてはいろいろなところへ出かけていくということも大事だろうなというふうに,方法論の一つとして思っています。
 それで,話が少しそれるかもしれませんが,私の学校では,今,こちらにもいらしていますけれども,茨城県の弁護士会の後藤先生とかに来ていただいたり,司法書士会の方に来ていただいたりして授業をやっています。そうしますと,とても時間が足りないので,3年生の政治・経済,1年生の現代社会,総合的な学習の時間,それからロングホームルーム,もうありとあらゆる時間をいただいて,その年齢とその教科に応じた内容を,年間で1クラス3~4時間ぐらいは確保して授業を今やっています。そのときに感じるのですけれども,外部の人的資源と,それからいろいろな機関の活用という視点,これが学校でやる場合の大きなポイントになるだろうと思っています。学校の教員が,先ほどの橋本先生のような例えばプライバシーの授業をやるといっても,かなり高度な知識が必要だと感じるのです。憲法の授業を問題解決的にやるということは余りないですし,どうしても今の教科書の記述どおりにやるというのが一般的ですから,そうしますと,憲法というのは,大体の生徒が思うのは,憲法は国民が守るものだと,まず,そういうふうに考えるものでして,教わるというのも,先ほどのアンケートの中にありましたように拘束されたりするような,縛られるようなものとして憲法を勉強するのです。
 ですけれども,そういうことは我々が教員になるときに,高校や大学の授業の中からもしかしたら出てきているような問題なのかもしれませんから,急には現場の教員にも対応できないような気がしますので,そうしますと,やはり外部の専門家の方の協力が必要だし,それから,法教育を最終的に広めるとしたら,教員に対する支援というのですか,そういうものが必要になるだろうというふうにも思っているのです。
 ですから,私はもう絶対こういう学習が必要だということは実感していますし,ただ,それをどうやっていくかという,学校の行事や,あるいは授業の時間や,それから指導要領という枠の中でどういうふうにやっていくかということは,かなり現実的に厳しいという面があるけれども,いろいろな方法で今やっているというところです。
 法教育の方向性ということを私なりに考えますと,授業の形態としては生徒が主体的に活動する。自分で考えるということです。そして,そのスキルはいろいろなところに応用がききますから,国語の時間でも,ロングホームルームの時間で,いろいろなところで技術を身に付けて,それを実社会で応用していくということが,いろいろな教科と連携してできていけば一番良いのかなと,そういうふうに思っております。長くなりましてすみません。

土井座長 どうもありがとうございました。
 いろいろな論点,あるいはいろいろな問題点を提示していただいたように思いますが,もうお一方,高校の方での内容,あるいは実際におやりになっているようなことから,今日のビデオ等を見られて,御感想,御意見をいただければと思いますが,早川先生,いかがでしょうか。

早川先生 実は私は法律を専門としない,法学部出身でない公民科の教員なものですから,法教育という概念というか,法教育というお話も,実は今年私は現場を離れまして,筑波大学の大学院の方で大学院派遣という形で社会科の研究をしているわけなのですが,江口先生のもとで初めて知ったような次第でありまして,そういうお恥ずかしいお話なのですが,実は大学院に行くときに,私の研究テーマといのうはメディア研究でありまして,現場でNIE,ニュースペーパー・イン・エデュケーションであるとか,メディア・リテラシーとかの自分なりの実践をしてきた上で,本格的に研究したいというふうに希望を変えていったわけなのです。
 実は普段高等学校の公民科を担当していまして,一番私がずっと10数年疑問に思ってきたのは,憲法学習であるとか法律に関して,あるいは公民科の勉強する内容に関しまして,やはりただの知識獲得の学習になってしまっているということです。公民科の本来の目的というのは,先ほどの何人かの先生のお話にもありましたように,公民的資質の育成というふうな,自立した市民であるとか,そういった教育観点というのがあると思うのですが,本当に受験科目としての観点でしか公民科をとらえていないという現状がありまして,私なりにメディア,新聞とかを使って教科書の内容に幅を持たせるとか,そうした研究をしてきたわけなのです。
 実は大学院の方で法教育の概念に触れまして,『わたしたちと法』というテキストブックの中に知的ツールのお話が出ておりまして,これは実はメディアにも応用できる,あるいは公民の勉強をしていく中で知的ツール,物事を,いろいろな社会的な問題を考えていくときに,どういうふうな手だてで考えていったらいいのか。ただ社会的な問題に対して賛成,反対ではなくて,何故そう思うのかとか,あるいは先ほどの橋本先生の授業にもありましたように,新しい政策として何か提言できることはないだろうかとか,そうした思考のツールといいますか,そういったものに触れたときに,あっ,これなのかなというふうに思ったのです。
 それを高等学校の公民科の授業の中にもいろいろな形で応用できはしないだろうかということを,実はテーマにしたいと思っていまして,私がメディア・リテラシーとかで研究していたそうしたいわゆるリテラシー,読み書き能力の一つに法教育で言うところのリーガルマインドであるとか,知的ツールというものがなり得るのではないかなというふうに今,非常に痛切に思っていまして,その辺のところで修士論文を書きたいなというふうに思っています。
 猪瀬先生のお話にもありましたように,現場でまず教員が,やはり私のように法律を専門としない教員もたくさん公民科にはおりますけれども,先日も猪瀬先生の学校で弁護士の後藤先生の授業を拝見させていただいたのですが,法的な思考過程といいますか,例えば問題を起こしたことに対して審判を下すとき,あるいは判決を下すときに,どういう思考経路というか,段階でもって判断を下すのかというふうな部分で,非常に弁護士の先生の分かりやすい授業がありましたので,そうした支援体制も整ってくれば,非常におもしろい公民の授業が高校でも展開できるのではないかなというふうに考えています。以上です。

土井座長 どうもありがとうございます。
 もうお一方,高校の先生にお越しいただいていますので,今出された内容を踏まえて,あるいはそれとは別に,御意見の方を伺えればと思います。渡邊先生,お願いします。

渡邊先生 館先生の授業と,それから橋本先生の授業,両方とも大変興味深く拝見いたしました。
 まず,館先生の授業の御報告に関してなのですけれども,今回のこの法教育研究会のできる過程を考えますと,館先生が今日この場に,多数決は正しいかというテーマの授業を持っておいでいただいたということは,大変法教育研究会の趣旨にも沿った形なのかなというふうに私自身は考えております。といいますのも,恐らくこの研究会自身が,この間進んでいます司法制度改革の流れの中でできた研究会というふうに聞いておりますので,その司法制度改革の中身にかかわったところにまさに関係する,そういう授業なのかなというふうに思っています。
 司法制度改革の中では大きな,我々市民にかかわる制度の変革として,裁判員制度の導入というのが目前に迫っているわけですけれども,裁判員制度というような制度で市民が裁判の判決を書くのにかかわるという制度自身については,私自身は,一方で大変民主的な市民の意見を取り入れるという,そういうプラスの面があると思う反面,もう一方では,市民が重大な刑事裁判の判決を書くということについて幾つかの危惧も抱いています。
 それで,多数決は正しいかというところにかかわって申し上げますと,私自身の個人的な考えではありますが,日本国民がいわゆる犯罪の被疑者,被告人に対してどのような感覚を持っているかといえば,恐らくそれはかなりの多数の方々が,被疑者として逮捕された段階で罪を犯したというふうに認識をされるという場合が多いのではないかというふうに思います。これは私自身の日常接している生徒に聞いたところでも同じような結果が出ると思うのですが,ところが,実際は無罪の推定が本来働くべきもので,そうなりますと,恐らく裁判員制度の中に参加していく裁判員である市民には,多数決で決めていけないことがあるというお話を,市民の中に意識を広げていかなければいけないと思います。多数決で決めてはいけないことというのは,恐らく憲法の中に書いてある人権の中身については,これは少数者の人権であっても奪われてはならないという意味で,そこのところが恐らく法教育の一つのキーポイントになるのではないかなというふうに私自身は考えています。
 大変古い話で恐縮なのですが,また,私は方々でこの話をしているので,またかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんけれども,樋口陽一教授と,それから小田中聰樹教授の間で,かなり以前に裁判官像論争という論争が行われたかと思いますけれども,その論争の中でもやはり焦点になっていたのは,民主的な裁判官なのか,それとも憲法の原則にのっとった形での伝統的な裁判官なのかということが論争になっていたかと思います。そういう点でいえば,子供たちに多数決で決めるということが必ずしも正しくないときがあるというところを示されているという点で,館先生の授業は大変興味深く思いました。
 それから,橋本先生の授業ですけれども,政策を決めていくというところで,途中の中で便益とコストの比較をされているというところに大変興味を持ちまして,その中で,様々な政策について便益とコスト,どちらにどういうものがあるのかということを生徒に出させているというところに大変興味を抱きました。
 恐らく授業を見せていただいたビデオは編集されていますので,その点で抜けている部分もあるのかというふうに思うのですが,最終的に橋本先生が,資料のところで,学校側がどのような政策を打ち出すべきかというところの,学校が行うべき望ましい政策というものを導き出すに当たっては,恐らくこの事例の中で,暴力事件とかそういったものが多発している状況を改善するための適切な方法は何かということを考えさせる中で,恐らくより制限的でない,ほかの選び得る手段の基準という,LRAの基準というものがございますが,その観点が恐らく入っておられたのかなというふうに想像いたしました。そういうところがないと,便益とコストの単純な比較だけでは,コストが少なくて便益が多い方がいいという,そういう単純な形になってしまって,人権の観点が恐らく抜け落ちる可能性があるかと思うのです。そこのところを,そういったLRAの基準の観点を入れることによって,橋本先生が示されたような最終的な結論へとお導きになったのかなという感想を抱きました。長くなりました。

土井座長 どうもありがとうございます。
 私も憲法学者なものですから,非常に興味深い御意見をいただいたというふうに思います。
 それでは,今日はお一人だけ御出席いただいている小学校の先生ということで,窪先生の方から御感想をお願いいたします。

窪先生 今日は館先生の授業を見せていただきまして,その中に出てきたアメリカの小学校の児童規則というものがあったと思うのです。これを見ていて私もすごく,これは使えそうだなと,今の私が担任している子供たちにも分かってもらえそうな題材だなというふうに感じました。
 私も前に,日本の小学校の児童規則というようなものがどういうふうになっているかということをざっと調べたことがあったのですが,やはり禁止規定というか,してはいけませんというようなものが多かったなというふうに感じました。
 ただ,一方で,子供たちは,小学生であっても,してはいけないその理由は何なのかということを考えるものですし,考えたからこそ,何故してはいけないのかということがよく分かってくるのだと思います。ですので,権利の宣言とその保障という類型のアメリカの児童規則というのはすごく参考になりました。
 また,橋本先生の授業の中でトゥールミン図式というものを提示していただきましたが,私は,これは初めて今日見せていただいたのですけれども,法というものを勉強することによって,論理的な思考という,その場を提供することができるのではないかというふうに前から考えていたのですが,このトゥールミン図式というものを見まして,やはりそうだなと,主張を正当化するための道具と教えていただきましたが,すごくその点が納得できました。今日はありがとうございました。
 それで,私が法教育について小学校の教員として考えていることを少しお話しさせていただきます。私は,法教育というのは,法の大切さですとか,ルールの重要性とか,そういうことが分かった法の担い手をやはり育成していくことだなというふうにとらえております。その中で小学校の教師として,法教育という言葉は,まだそれほど馴染み深いものではないのではないかというふうに感じております。
 しかし,ルールの大切さということとか,それから,ルールに従った生活の大事さというようなことは,法教育という言葉がなくても,学級経営の中でやっていることだと思います。ほとんどの先生がそのことを重視されて日々の学級経営をしていると思います。そういう現状なのではないかというふうに私はとらえております。なので,法教育を中学校,高校だけでなくて,小学校でも実践していくということはすごく重要なことですし,言葉についてまだ余り普及していなくても,このことが大きな障害になることはなくて,これからどんどん実現していけるのではないかというふうに私は思います。
 その中で,これからですけれども,社会科の学習の一つとして何とか定着できないかなというふうに私は考えます。私が社会科の授業を進めるときは,子供たちの関心のある問題を持ってきて,それについての知識的なものを勉強して,それをもとにいろいろ思考したり判断したり,そういった経験を経てから子供たちが獲得してくれたことを表現していくというような大きな流れを作っていつも授業をしております。
 その中で,例えば小学校3~4年生の子供でしたら,商店街の働きですとか,スーパーの働きなどを勉強する中で,消費者としての自分たちの工夫ですとか,それから商店主,商業をやっている方たちの商業活動の工夫や思いということを学んでいきます。そういうことを考えると,法について子供たちが学ぶということは無理ではなくて,ただ,小学校の社会科の学習指導要領の中に,法について学ぶ法の意義とか役割とか,それからその効果ですとか,そういったものについて学ぶというものが無理なのではなくて,ただ今は入っていないということなのではないかというふうに私は考えております。
 そういう中で,子供たちにとって勉強しやすい形といいますと,具体的なケースを教材化した場合ではないかと思います。私は以前,小学校4年生に,交通事故というものが起こったときに,どういうふうにみんなが納得する解決を導いていくのかというテーマで法の授業をしたことがあります。その中では,守られるべき権利は何なのか,それから,適正な手続というのは交通事故の場合には何なのか,どういうことなのかということを,子供たちと一緒に考えながら進めてまいりました。そのように,何か一つ,子供たちにも身近な馴染みのある具体的なケースを解決していくという,そういう形で教材化することが望ましいのではないかなというふうに考えております。
 ですので,ぜひ学習指導要領の小学校の部分にも,法教育について何らかの言葉が入れば,教科書にもそういった記述が出てくるでしょうし,小学校の先生方も法教育について関心も持ちますし,実践もできるのではないかというふうに考えております。
 そういったことが大事だというふうに考えているのですが,例えば法学部出身の小学校の先生というのは極めて少ないというふうに考えております。私はたまたま法学部の出身の小学校の教員なのですけれども,やはりそれでも苦労するのは,何をどう教えるかという部分で,法的な価値,何を子供たちに伝えればいいのか。漠然とは分かりますけれども,どういったものを授業化したらいいのかという点で苦労します。
 一方で,その「何を」というものがはっきりあらわれてくれば,それをどう教えるかという部分では,小学校の教師として持っているアイディアが私も出せそうですし,たくさんいらっしゃる小学校の先生方が,その点はたくさんアイディアを出してくださるのだと思います。
 そのように考えておりまして,小学校でも法教育をぜひやりたいなというふうに私は考えております。以上です。ありがとうございました。

土井座長 どうもありがとうございます。
 今,複数の先生の方から,法教育の重要性を御指摘いただいた上で,ただ,実際に身近な事例を使ったりする場合にも,それをどういう形で法的な問題にするのか,あるいはどういうふうに整理すればいいのかという形について,いろいろな支援が要るのではないかというような御指摘がありましたけれども,それ等を受けて,実際に学校に行っていらっしゃる弁護士さんのお立場からということで,村松先生,その点はいかがでしょうか。

村松弁護士 具体的な担い手等の話もありますが,最初に,授業を見せていただいた感想を言わせていただきますと,弁護士として教えることのプロではないだけに,館先生と,それから橋本先生の授業はすごく参考になり,今後に生かせるなと思いました。
 それで,館先生の方から最初に御報告があって,アンケートの御紹介があったのですけれども,私が学校で生徒たちに授業をしていて感じていることと本当に全く一緒でした。私は高校生と,それから小学生に授業をしたことがあるのですが,このアンケートにあるような,例えば自分の意見をしっかり持っていないであるとか,思っていることを発表するのをためらいがちな面がある,それから,自分の意見を言わないとか,会議を進める力が身に付いていない。これはまさに私もすごく感じることです。
 例えば小学校6年生で私は憲法の授業をしたのですが,私が持っていた小学生のイメージというのは,まだ天真爛漫で,やんちゃなところがあって,こちらから何か聞けば,どんどん答えてくる,そういうイメージを持って行ったのですが,実際には聞いても答えてくれない。それで,分からないかというと,分かっている生徒はいっぱいいるのです。だけれども,周りを見て,話そうとしない。それで,ポソッポソッと言う声を,こちらが一生懸命拾い上げて,「そうだね,こういうのが出たね。では,これはどう思うの」と投げかける,こういう授業なのです。
 ですから,もう小学校の段階からそうですから,高校生になったら,なおのこと意見は出ないですし,例えば高校の神奈川県のいわゆる学校のトップ校に行って,グループでディスカッションさせる。それで,学校のトップ校ですから,それなりの能力はある生徒たちです。ですから,当然ディスカッションはできるかと思うと,やはりグループで意見をまとめてくれる生徒がなかなかいない。どうしても弁護士が入っていってまとめ役になる。これでは,授業を進めていく上での基本ができていないなということをすごく感じました。ですから,この辺からやはり変えていかないと,法教育の目指すものがなかなか達成できないのかなと思いました。
 他方,館先生の方から身近な事例を使うという話が出たのですけれども,やはり身近な題材を使うと,子供たちも乗ってくるのです。例えば小学校で,私は小学校6年生の1コマで憲法を教えてくれと言われまして,小学校の1コマというのは確か40分だったと思うのです。それで,最初に弁護士が自己紹介をして,弁護士というのはどういう人か知っていますかという話から入って,法律というのはどういうものがあるでしょうと,そういう問いかけをしますから,憲法の話ができるのは正味30分あるかないかの中なのです。その中で,憲法は何のためにあるのかという話から始まって,人権の話をして,それで,人権がすごく大切なのだということを一生懸命説明するわけです。
 その上で具体的な事例を出して,私が行っているのは大田小学校というのですけれども,「大田小学校新聞にA君がBさんのことを好きだという記事が掲載されました。トップ記事です。これはどういう問題があるでしょう」と,そういう題材を出したのです。そうすると,生徒はそこですごく沸くのです。それまで授業はずっと,だんだんだんだん低調になっていって,生徒の集中力が切れているなということはすごく分かったのですけれども,その話題を振ると,あいつのことだとか言って,ワーッと生徒が盛り上がって,それで集中してくれる。
 私は何を言いたかったかというと,そこでの問題点というのは,新聞に掲載するのは憲法上のどういう権利ですかと,まず問いかけます。それは,その前の段階で憲法の人権カタログをいろいろきちんとしっかり生徒に出させましたから,生徒はすぐ答えられるわけです。それで,それは表現の自由ですという話が出ます。そうですねという話をして,では,これは表現の自由で,大切な権利ですから,これはやっていいのですかというふうに問いかけると,生徒は感覚的にはやはり分かるのです。それはおかしいと,違うと。それで,何で違うのですかと,何でだめなのですかという問いをすると,やはりなかなか理屈では答えられないところがあるのです。
 ですから,身近な題材を使えば,生徒は十分引きつけられて,ついてきてくれますし,それに対して反応もしてくれる。あとは,その基本的な考え方,今回は相手方のプライバシーとかという問題になるわけですけれども,そういう基本的な考え方を,言葉では分からないいけれども,生徒は分かっているわけですから,その辺を少し教えてあげれば,小学生段階でも十分法的な思考は身に付くのかなと思いました。
 あるいは,高校生で,学区トップ校クラスのところでやったときには,最初は意見が出なかったのですけれども,例えばグループ・ディスカッションで,電車の中で携帯電話を禁止するという条例ができました,これはどう思いますかと。今はJRでも私鉄でも統一基準ができましたけれども,まだ,できる前の話なのです。そうすると,やはり身近な問題ですから,生徒はそれなりに食い付いてくる。自分なりの意見を言ってくれる。その中で,プライバシー,使いたいという自由であるとか,でも,そうしてはまずいのではないかという利益考量をしながら具体的な結論を導く。そういうことができましたので,身近な題材を使いながらうまく法的な思考を身に付けさせるというのは,すごく良いことなのかなと私は感じています。
 それで,先ほど窪先生の方からも出たのですが,担い手ということなのですけれども,やはり教えるのは学校の先生なのだと思うのです。私は,館先生や橋本先生のようには授業はできないです。私は,もともとは弁護士になる前は学校の先生を目指して,教職も取っていましたから,教えるのがもともと好きな弁護士ですから,それなりに問いかけながら生徒から引き出してということはやっています。だけど,横浜弁護士会で授業に行くときには必ず弁護士2人で行くのです。そうすると,もう一人の弁護士の教えることをよく見ているのですけれども,正直言って一方的に話す,基本的にはやはりそれしかできないのです。よほどなれていないと。その教えるノウハウというのは,教師との間では画然の差がありますから,それはやはり先生に任せるべきなのだろうなと思っています。
 ただ,何を教えるかということについては,法律家としてかかわっていって,情報提供する。現場の先生からもやはり,何を教えるかという点については,幾ら勉強しても自信がないと。そこは法律専門家の方々からの意見を聞きたいという声はよく聞きます。ですから,弁護士であるとか法律家が,何を教えるかというところで現場の教師とかかわっていって,それで,実際には学校の先生に教えていただく。それがやはり良いのかなというふうに思っています。
 それから,教える場なのですけれども,基本的には社会科の授業になってくると思うのですが,それだけではなくて,特別活動のようなところでも法教育的な視点を取り入れてやっていけないのかなと思っています。実は先日,横浜弁護士会で横浜市の教育長と,それから教育関係の方何人かと面談をしたのですけれども,市の方からもいろいろな話を提案していただきまして,社会科で教えるだけではなくて,中学校1年生から3年生まで通した形でのカリキュラムができないのかというような意見も出ているわけです。そうすると,社会科は,公民は3年生だけですから,1年生から少しずつ教えていくということになると,特別学習,特別活動ですか,そういうところになってくると思いますから,その辺のトータルなコーディネートも必要なのかなというふうに考えています。以上です。

土井座長 どうもありがとうございました。
 今,一つのテーマとして出てきた身近な題材ということで,できるだけ小学校,中学校,高校,それぞれ生徒が関心を持ってくれるというような題材を選んでいく必要があるのではないかという御意見でしたけれども,実際,学校で法教育あるいは公民教育をやっておられる経験から,こういう題材を使ったらどうか,あるいはこの題材を使ったけれども余りうまくいかなかったという逆の経験等々がおありだと思うのですが,その点,先生方の方で何かおありであれば,御意見賜ると非常にありがたいのですが,いかがでしょうか。御自由に発言していただいても結構ですが,まだ,少し発言をいただいていない先生がおいでですので,吉田先生,いかがでしょうか。

吉田先生 生徒は学校生活を送っていますから学校の問題が身近といえば身近なのですけれども,実際,マスメディアが発達していますので,いろいろな世界の情報から何から,生徒自身は,新聞を通して知っている,テレビを見て知っているというようなこともありまして,そういう意味でいうと,そうした問題の方がより食いついてくるという場面というのはあると思うのです。ですから,小学生であっても,恐らくそういうテレビニュースで知っていることを中心に話したいというようなこともあるかと思います。
 ですから,今の状況で,よく教育の中で同心円的にまず身近な家族の話から始まって,順番に膨らませていくのだというような発想も一つあるかとは思いますが,生徒の関心は,それだけで形成されるわけではないと思います。法教育の教材をどう選択するかという基準の立て方についてまた意見交換したいなと私は思います。
 私自身は,今,中学校に籍を置いています。高校と併任の学校で,中学と高校で数年間合わせて教えるという経験がたまたまできているのですけれども,そういう中で,先ほどの館先生と橋本先生の授業を拝見しまして,一つ思いましたのは,やはり民主主義というか,多数決は正しいのかというテーマの立て方で,先ほど渡邊先生から,立憲民主制の憲法的な価値の問題が入ってくるので,立憲主義と民主主義の衝突,それが常に調和的なものではないというお話があったかと思うのですけれども,それはやはり常に意識したいなと私自身も思っております。
 その中で,法教育の中では,橋本先生がおっしゃられる紛争解決的な法授業が,ある意味で中心的な役割を果たすのではないかなとは思いますけれども,もう一方で,私自身が最近本当に考えていますのは,館先生の御報告にありましたように,法が束縛されるものという意識が生徒の中にあるというお話だったのですけれども,それは私自身も少し感じておりまして,どうしてそうなってしまうのだろうかということをやはり考えたいと思っているのです。
 法教育でいうと,そういう紛争解決的な,あるいは司法の場できちんと議論ができる生徒を育てるとか,そういった部分が一つの目標としてどうしても掲げられると思います。それ自体は私も正しいと思いますが,もう一方で,多数決は正しいのかというような一つの合意の作り方という問題を提起されたと思うのですけれども,また,橋本先生からは制度構築的といって制度をいかに再構築するかみたいな提起があったと思いますが,私自身は,法教育の中に法を作るという側面の学習が今まで余り入ってこないというか,もう少しその辺が意識されてもいいのではないかと思っているのです。
 法律が一つ作られるというのは,やはり何かの理由があって作られますので,何で法律が作られるのだろうかというところで問題を立てていくということが一つあっていいのではないかなと思っています。そういう意味で,立法というのが法教育の中に位置付けられていいのではないかなと思っています。例えばプロジェクトXという番組の中で,男女雇用機会均等法がいかに作られたかというのがドラマチックに報道されたことがありましたけれども,ああした問題でも結構ですし,現在取組が進められている裁判員制度も,現在,法案が作られる前の段階だと思いますけれども,その中でいろいろな報道がされております。そのような問題を,例えば生徒と一緒になって考えていく。どうしてこうした仕組みが作られていくのだろうかというようなことを考えていくことによって,法というのはこのような目的があって,現実をこのように変えようとしているのかとか,そこで規範という意味も分かってくるかなと思うのです。ですから,そういう立法とか立法過程というものを,政治学習とも融合させながらになるかもしれませんけれども,授業の中で一定の位置付けをしたいなというふうに思っています。
 そのように私が考え始めた理由はといいますと,私も憲法を専攻でずっとやってきたのですけれども,最後に司法の場での判例学習というのを,多くの学校でも,高校あたりになりますとやっているのですが,法の解釈の問題になってきますと,非常にこれが難しくなります。例えば教科書には必ずと言っていいぐらい例としてありますのは,男女の定年の差別の問題があります。これを平等権の問題としてとらえたときに,生徒は,これは平等権に違反していて憲法違反なのだというふうにとらえることができるのですけれども,法のロジックといいますか,私人間効力の問題というのが一つ入ってきまして,あそこを一つ乗り越えなくてはならなくなってくるのです。
 実際に私は授業の中では,そういう判例も取り上げますけれども,調査学習というのをやらせておりまして,やはり権利の問題とか人権の問題は現場に行って聞いてこいということで,いろいろなところに生徒を,そういう人権の話を聞きに行かせているのです。生徒は,対国家権力の人権という伝統的な人権観よりも,私人間の人権をいかに保障するかということに,非常に関心がありますので,そういったように例えばそういう私人間効力というものを通して考えさせるのが良いのかどうか。法の論理としてはそこをやらせる,法の解釈としてやらせていくべきで,法教育も大学につながるような法解釈みたいなものをやらせた方が良いのかどうかということなのですけれども,私自身は,今はそこまでやらなくても良いのではないかというふうに考えていて,むしろ法というのは何のためにできたのかという立法の問題とか,そうしたような問題を中心に押さえていった方が,法というものがもっと身近になって,その意義だとかも分かるのではないかなというふうに考えて,判例教育,判例学習中心の法教育から,やや今シフトをしてきているという状態になっているのです。先ほどの教材が失敗したケースについていえば,今の法の解釈という隘路につい入ってしまって,かえって混乱してしまうという,そういうようなところについて専門の方はどのように考えていらっしゃるのかという話も,今日伺いたくて参りました。

土井座長 どうもありがとうございます。
 最後に出ました私人間効力というのは,憲法学者の間でも見解の対立が深刻なところで,大学生に教えるのも非常に難しいというところです。専門家が入ると自分の意見を言い出して,かえって訳が分からなくなるという危険もある領域で,専門家が入れば解決するというのは誤った考え方で,専門家が入ると,余計かき乱すという側面もあろうかとは思います。確かに法というものをどんどん入れていくことになってきた場合に,様々な考え方がやはりあるわけで,それをどういうふうに反映していくかというのは非常に難しい問題だろうと思います。
 あと,テーマの問題,それから,先ほど村松先生の方から出ました教え方,あるいは子供たちの方から活発に意見を引き出す方法,あるいは教材の工夫等で,お考え,あるいは御意見等があれば,伺わせていただきたいと思うのですが,坂本先生,いかがでしょうか。

坂本先生 なかなか意見が言えないというのは,私も自分の授業を反省しながらということなのですが,そういう形態の授業を余りやっていないというところの積み重ねでそうなってしまっているのかなという感じがしています。繰り返していけば,中学校の3年間の中でも,1年生から3年生の中で随分そういった部分が育ってまいりますので,そういった面では小学校と中学校,また,中学校と高等学校という部分での,目に見えない部分になるのでしょうけれども,連携という部分は必要かなという感じがしております。
 それと,先ほど話に出ておりました,どの部分をというようなことを教えたらいいのかというような話がありましたけれども,その点に関しましても,小学校ではこういうような部分,中学校ではここのところ,高校ではこの部分というような形で,どこかで明確になっているのかもしれませんけれども,そういった部分がはっきりしていると,中学校ではこういう部分が社会科でできるなと。もちろん社会科には学習指導要領がありますから,そこの部分からということになりますけれども,そのほかの特別活動等を含めた様々な部分のところでもやっていけるのかなというように思っております。
 法教育というのを広い意味でとらえて構いませんというお話がありましたので,そのあたりから話をさせていただきますと,やはり取り決めですとか,ルールを守るという部分の大切さなどというところは,絶対に教えていかなければいけない部分ですし,その辺のところが核になるのかなと思っています。
 あと,身近な部分というところなのですが,できないですけれども,生徒の食いつきという部分で申しますと,たしか9月13日だったかなと思うのですが,異性紹介サイトに関する法律ができました。あのあたりは,ちょうど私が生活指導担当だったこともあるのですが,こういうものができて,それでやっと迷惑メールもという話,あと,気を付けなさいということだとか,そういう部分を話しています。恐らく他校でもそういった話がされていると思いますので,また,実害という部分も生徒の方にあるかと思うので,食いつきはいいのかなというように思っております。携帯電話関係ですと,まだまだいろいろと生徒が被害になっている部分だとかもありますから,そのあたりからが,現段階といいますか,今日的な部分でいうと,何か題材としてできるかななどと思っています。
 あと,先ほどの先生がおっしゃられていましたけれど,やはり立法の部分というところも一つ入れていった方が,生徒の考える部分では,つながりの部分でもいいのかなという感じがしております。
 いろいろな先生方が,今日は立派な先生方がそろっていますので,普段ですと,誰かが言って,またその話というふうに私も思ってはいるのですが,あえて言わせていただきますと,学校現場は授業数が減っているというところと,あと,評価の部分でまだまだ混乱しているところがあったり,東京都でない先生方もこの中においでですけれども,都立の入試の形態も毎年変わっていますので,それでどうやって計算して,どこでどうなどと,そのあたりで難しかったりとかもしていますので,やはり何か外部の力といいますか,そういった部分がすごく重要になってくるかなというように思いますし,他の機関で出ているような冊子ではないですけれども,より身近な部分,私たち教員の方が食いつきやすいような,そういったものが出て配っていただけたりしますと,余り興味のなかった先生方も,やってみようかなと,そういう気持ちが沸いてきて,授業の中に取り入れていくのかなという感じがしております。以上です。

土井座長 どうもありがとうございます。
 関連して,教材の問題が最後に出てきたのですが,教材で工夫する必要,あるいは同じように生徒の食いつきというのをどういうふうに確保していくかという問題等で何か御意見がおありでしょうか,金子先生,お願いいたします。

金子先生 本日は,館先生,橋本先生,ありがとうございました。非常に概念的なものや授業の手法等,工夫されているところが参考になりました。
 法律というか法を扱うときに,大切なのは,何故必要なのかという部分です。そこについては,私は授業をやるときに,まず,最初に話し合いをさせる部分です。それで,先ほどご紹介のあったアンケートとは違うのですけれど,そうやってやっていくと,自分の財産や生命を守るために必要なのだということは,出てくるのです。ですから,授業のやり方によっては,子供たちが幾らでも変わる可能性があるのではないかなと思います。先ほどご紹介のあったアンケートを見て,私は,あれっと思ってしまったのです。ですから,すべてアンケートの実態が全部ではないなという気も持っているのですが,皆さん,いかがなものでしょうかという問いもあるのです。
 あと,身近な教材を利用するということでは,子供たちは,そういうものを扱えば扱うほど,授業には乗ってきます。例えば私がやったのは,もう,少し古くなってしまったのですけれど,申し訳ないのですが,村木判事の罷免のニュースを使わせてもらったということがあります。これは3年前の3年生ですから,タイムリーだったのです。事件と授業とがタイムリーでした。今年は選挙と非常にタイムリーで助かっているのですけれども,そういうものを使わせていただいています。
 あとは,話し合い活動がうまくいかないという部分が,私も授業をやっていて感じるのですけれども,生徒に1年間に1回はみんなの前で発表する機会をということで,発表学習なり,あるいはロールプレー,リベート等を取り入れています。今年は,これはおもしろかったなと思うのは,仮想の村を想定して,地方自治との絡みなのですけれども,北本寒村という,学校のある場所が北本なのでその名前を使って,過疎化が進む村として北本寒村という架空の村を想定して,一大プロジェクトを,要するに村にスキー会社が来て活性化させようということで進めるのですけれども,そこまでは,ある程度教科書に乗っているのです。ところが,その後,やる気のない先生だとそこは割愛するのだと思うのです。では,どういう役割が必要なのかと配役を決めるわけです。そこから立ち上げると,非常にもう時間は長くなってしまうのですけれど,配役を決めさせて,それが,要するに何個かあるのですけれども,それを2人なり3人なりで一つの役割を演じて,それで,賛成側,反対側ということでやり取りをやってみた。ですから,変形ディベートというような形になるかと思うのですけれども,それを全クラスでやらせました。
 そうすると,普段では感じられない生徒のよさというのが,その場面では感じられるのです。例えば自然環境保護団体であれば,一つ小道具を持ってきて,この木は育つまで30年かかるのだと。先ほどからの身近な問題ですけれど,そういう身近な一つの小道具,それを提示して言える生徒,何でもいいよ,小道具でもいいし,工夫は何でもいいけれども,その時間に自分が言えるようにしておきなさいということをやると,子供たちは話し合いながら自分なりに工夫して,表現力も深まってくるというようなことを感じました。
 ですから,そういった意味では教師の存在というのは非常に大切になるのかなと。村松弁護士の方から,教える内容については教師がしっかりやってくれと。そういった意味では本当に,現場の教師としてはいろいろなことがあるのですけれども,本当に教材研究をして身近な資料等もストックしてやっていかないといけないなという反省を,この会に臨んで十分思いました。
 ですから,今,理想となる授業は,この間も研究授業を見たのですけれども,生徒が調べ学習をやって,発表学習をやって,専門家を呼んで,法教育であれば弁護士さんを呼んで,最終的にこの間すごいなと思ったのは,歴史学習だったのですけれども,先生と打ち合わせをしておいて,その発表学習の評価までするのです。この発表についてはこうだったという評価ができて,そうすると,その調べた生徒がまたうれしくなって,どんどんやる気になる。その前の事前の打ち合わせとか教える内容については,本当に時間のない中でやっていかなくてはいけないので,一番大変だったのではないのかなと思うのですけれど,理想は多分こういうものになるのかなと思うのですが。
 この辺は先生も言いましたけれど,現場の授業時数というのは非常に削減されていて,隣の先生とも始まる前に言っていたのですけれど,週に私は22時間持っているのです。そうすると,1日の中で空いている時間は1時間とか2時間で,放課後は委員会と,私は教務なので運営委員会,生徒指導が入れば,もう帰るのが8時,9時という状況になってしまう。あと,部活動です。そういうものが現場の実態ですので,ぜひ,理想を追いつつ現場も頑張っているのですけれども,大変だということを御理解していただけたらありがたいなと思います。ありがとうございます。

土井座長 どうもありがとうございます。
 現場の声というのを伺って,ぜひこちらの方でも検討したいというふうに思っております。
 最後になりましたけれど,第1回目でプレゼンテーションをしていただきました後藤先生,いかがでしょうか。

後藤弁護士 まず,弁護士が学校へ行く場合に,生徒たちが興味を持てるような食いつきのいい教材をどうやって作成するかは悩みの種です。中学生以上であれば我々の頭で考えてもなんとかできるのですが,小学生以下になりますと,相当厳しいなと感じております。ですから,こういった面で,小学校の先生との連携が必要だと思っています。
 生徒に興味を持ってもらえるように,歴史的にこういうようなことがあったからこういった制度ができてきたというやり方で教材を作るのも一つの方法かなと思っています。最近,大人向けに,刑事裁判において無罪の推定とか黙秘権とかがなぜあるのかという話をしたのですけれども,なかなか理屈ばかりでは,受けが悪いのです。それで,過去に,どういうひどい拷問をやってきたのかというようなものをインターネットで調べて,大人に見せました。具体的には,裁判所に対する黙秘権の説明でしたが,イギリスの刑事裁判では,取り調べのときは拷問を余りしていなかったらしいのですが,実は,裁判段階で,裁判官の気に入った答えを自白しないと,自白するまで眠らせないというやり方で自白に追い込んだというのがありました。そこから,裁判所に対する黙秘権が出てきたのだというような話です。これを説明すると,なるほどと納得してもらえる。抽象的に説明するよりも歴史的な経過があってこのような制度ができてきたのだという方向で,教材を作るのも一つの方法かなというふうに思いました。
 もう一つ,法教育を科目のどこでやるのかですが,社会科とか道徳,それから総合学習,ホームルーム,いろいろとあるとは思います。しかし,私は,法的な感覚を日常の生活の中で生かせることが大切だと思うのです。であれば,生活の中で,すぐに感覚的にパッパッと法的な考え方を使えることが大切ではないかと思うのです。生活の中で実際に生かせるためには,体得していかなければならない,たとえば社会科の中に法教育を押し込めてしまってということでいきますと,何か受験の科目の一つみたいな形に収まってしまい,使えなくなってしまうのではないかとも思うのです。法教育の場合,スポーツと同じような形で生徒に身に付けてもらうことが大切ではないか,また,学校生活のあらゆる面で取り組まなければいけないのかなと感じています。
 このように法教育の実践を学校生活の中全体でやっていくとなりますと,今度は教員の先生方の負担が結構大変になるのではないかという気がします。自律した市民は,批判的な思考をするので,言い方は悪いですけど,要は,小うるさい,自己主張する子供たちがでてくる。教員の方はそういった子どもを相手にいろいろと語らなければいけない。教員は,相当勉強をしていただかなければいけないかなというふうにも思います。
 先ほどの話で,クラスで話し合いがなかなかできないとの指摘がありましたが,これまでの積み重ねでそうなったのだろうという話がありました。私もそうなのかなと感じています。授業の時に,みんなで議論しましょうと言っても,議論しない。そこには,普段の生活の中で話すと目立ち過ぎて,いろいろ言われるのではないかという,そういうクラスを支配している空気,暗黙のルールがあるのではないかと思うのです。そういった部分から変えていかないと難しいのかなということで,法教育は,科目に止まらずに学校作りとか学級の運営を根本から変えていかなければ難しい問題なのかなと思っています。
 私も,学校の先生方に,法教育をPRで売り歩くといいますか,そういう機会もあるのですが,先日,学校の校長先生の方から質問を受けました。茶髪を校則で禁止するにはどうすればいいのですかといった趣旨の質問でした。学校の先生方は,法やルールについて,どうも最初にありきで,秩序維持の面を重視しているようです。そこから,さらに法やルールの内容について吟味していくとどうなるか,個人の尊厳との調整をどのように図るか,そのあたりの難しさを感じた次第であります。まとまりありませんが,以上でございます。

土井座長 どうもありがとうございました。
 一通り,今日お見えになった先生方から御意見を伺ったという形になりましたけれども,その他,御発言いただけること,あるいは,せっかく先生方にお見えいただいておりますので,今後の検討の上で重要だ,ぜひ意見を伺いたいということがあれば,委員の皆さん方から御質問等をいただければと思います。いかがでしょうか。

安藤委員 そちらに教科書がありまして,見せていただいたのですけれども,教育現場では,実際に教科書に沿って授業を進めるということの方が少ないのでしょうか。私たちが見ても,何か非常に,これに沿って授業をされたらかなわないなというような……,失礼いたしました。本音なのですけれども,ああいうもので授業をなさっている先生方の方が多いのですか。

金子先生 一つの教科書に対する考えなのですけれども,要するに指導要領が変わるまでは知識注入型のものでしたけれども,私も唖然としたのですけれども,東京書籍を使っているのですけれども,教科書自体は非常に変わっています。ですから,チャレンジしようとか,調べてみようとかという項目は非常に多いです。要するに教える内容については3割削減をしていますから,例えば家計という言葉も無くなったり,エンゲル係数というものも無くなっていたり,収入の種類についても財産収入とか勤労収入とか,そういうものをともかく教えていたのですけれども,全部カットされているのです。その代わりに調べる時間とかチャレンジする時間が多くなっているように,私は非常に,これでいいのかなという懸念を持っています。
 ですから,基本的にはこれを中心に言いますけれども,本当に教師の力量によって幾らでも変えられるような状態になっていると思うのです。
 ただし,各学校で年間指導計画というのを作るのです。ですから,それにのっとって本当はやっていかなくてはいけないのですけれども,研究授業の要請が来たり,何々教育をやってくれとか,税の標語を作れ,作文を作れという要望が現場には来るのです。それで,税が来たり,年金が来たり,このように法教育が来たり,現場というのはもうあらゆるものを受け入れているわけです。ですから,はっきり言って年間計画をもう一回,洗いざらいやり直さなくてはいけないのです。私の場合は,税に対する作文や標語があるので,本当は2学期に,あるいは3学期にやらなくてはいけないものを変えて,1時間,特設に授業をして,標語を作らせて,作文を出して,それが評価されていくのです。
 ですから,やりたい趣旨は非常にどのものも積極的でいいのですけれども,年間指導計画をもとに各学校で工夫されて,これを中心にしながらやっていくというのが多分大筋ではないのかなと思うのです。

安藤委員 先ほど,吉田先生でしたか,おっしゃっていましたけれども,私もこのアンケートを見て,今の生徒たちというのは自己表現というのが自分の言葉でできないというのは前から私も思っていて,あと,他人の言葉をきちんと聞き取れないということもすごく問題点だと思うのです。あと,彼らの社会というのは非常に小さくて,本当に仲間意識だけでまとまっていて,いわゆる大きい社会という意識がすごく少ないと思うのです。それで,こういう法教育というもののベースの,ルールを守るとかということが結果的に強制とか束縛という感覚でとらえられてしまう,このアンケートを見ますと。それで,小学校ぐらいからの法教育への導入部分というのはすごく大事なことになってくると思うので,できましたら小学校でどのようなことをやっているか,私はもう少しお聞きしたかったのですけれども。

窪先生 小学校でたくさん実践をしているというわけではないのです。私が行った授業というのも実験的に,交通事故というものを法的な側面から見て解決していくというのはどういうことかということを,4年生の子供たちがどれだけ理解してくれるか,どれだけ学習として成立するかというようなことを考えながら実践したものであって,正直なところ法についての授業がすごく一般的に行われているというわけでもないと思いますし,幾つかの事例を私も本で読んだりして勉強した部分はありますが,今ここで,こういったことですよというふうに詳しく申し上げることができなくて申しわけありません。
 ただ,一つ,少し考えていることは,子供たちが小さな社会の中でルールについて勉強すると,それを守らなければいけないというイメージではないかという今お話がありましたが,逆に子供たちの中のルールというのがあります。その中で結構大きな部分というのは,やはり強い者の意見が通るというようなことが実際あるのだと思うのです。ただ,一方で,法というものを勉強すると,自分が考えていることが,これは公正なことだ,ほかの強い者の意見が通るというようなことは違うのだと。子供たちのルールが本当ではなくて,社会で通用している法というものには,こういった正義というものがあるのだと,そういったことを小さな社会の中から大きな社会の法を見ることで勉強できるという,そういったプラスの面もすごくあるというふうに私は考えています。

土井座長 ありがとうございます。
 ほかに,どうぞ。

関先生 今のところで,お話の中で束縛というのがあって,特に中学生にとっては決まりというのは一番反発するところだと思うのです。特に校則があったりとかして,何でこれを守らなければいけないのかとかあって。先ほど吉田先生のお話にもありましたけれど,すごく大事だなと思うのは,法というのを守らせるというふうなところが,守ることが大事なのだというのがあるのですけれど,守る前に,法というのは我々の生活を豊かにするためのものであって,変えることもできるという,やはりその辺というのはすごく大事なのではないかなという気がしたのです。その辺からいかないと,すごく法に対して受身的な感じになってくるかと思ったのです。
 というのは,私はまだ授業の中で十分できていないのですけれど,選択の授業の中で,乙ちゃんルールではないのですけれど,体の不自由な人と,車いすの人と一緒に遊ぶとしたら,どういうふうにしてできるか,ルールを作ってやってみようかというふうなことで,どのようになるかなとやってみたことがあったのです。そうすると,最初にルールを作って,何かやってみた。だけど,うまくいかなくて,では,もう少しこうやって変えてみようか,こうやって変えてみようかといって,うまくいくようなことをしてみると,最後に子供たちに書かせると,決まりというのは守るのではなくて,こうやっていいように変えていくことができるのだという,そういうふうな意見を持つ子たちが出てきて,そうすると,何か決まりに対して意識が少し変わっていったような感じがしたのです。
 だから,普通の授業の中で集団でやっていくとすると,なかなかそういう体験をするというのは難しくて,でも,実際にそういうことを授業で実践していこうとしている人たちもいるわけですけれど,そうやって法を作るとか,何かもっと能動的なかかわり方ができる……,先ほど立法というところで出ていましたけれども,そこまで大きくなくてもいいから,何か身近に,決まりというものを,守るだけではなくて,自分たちの生活のいいように変えられるという経験,その辺が入ってくると意識が変わってくるのではないかなと。束縛という見方が少なくなっていくような感じがしています。

土井座長 どうもありがとうございます。
 ほかに。どうぞ。

山根委員 全く同じ意見で,同感しているのですけれども,私も,上から抑えつけられるのではなくて,自分たちで変えていける。世の中も,よくも悪くも自分たちが動かしていけるという,そういう感覚をやはり育てて欲しいなとすごく希望しているのです。
 それで,私がかかわっている消費者運動とかもだんだん先細りになっていまして,あと,市民運動とか,あと,選挙の投票率とかも低いです。そういったところにも影響してくると思うのですけれども,自分たちがかかわって法律も変えていけるのだとか,そういう感覚を,難しいことですけれど,意識付けをしていけるようなものに,ぜひ御協力して欲しいというふうに思うのです。
 先生方は本当に時間もなくて,御苦労されているのはよくわかるのですけれども,今日,家庭科の担当の先生はいらしていないようなのですけれども,技術家庭の時間がとても減らされているという話を聞きますけれども,そちらでは,生活の場の生きる力とか消費者教育もされる分野だと思いますので,そちらともぜひうまく連携をとって,少しでもそういった充実した授業ができればありがたいなというふうに思います。

土井座長 どうもありがとうございます。
 束縛の問題は非常に重要な問題で,人を殺してはいけないという形から入るのか,人には生きる権利があるという形から入るのか,どうしても,私も大学の教師ですけれど,指導するということになると,何々してはいけないという否定形,禁止の方から入るわけですが,先ほど館先生の御報告の中にもありましたけれども,その前提として,その相手方に何らかの自由があるのだ,権利があるのだということなのですね。それを尊重するということから,自分はそれをしてはいけないのだと。逆に言えば,自分も相手方に対してそれをしてもらいたくないという思いがあるのだというようなところを,どう積極的に教えていって,その意味では自分にかかわる問題だということを伝えていっていただくのか,これは非常に重要な点であろうというふうに思います。
 そのほか,いかがでしょう。どうぞ。

日高先生 先ほど少し言い足りないところがありましたので,実は私がここに来るきっかけの一つになったのが,千葉大の,先ほどお名前が出ていた嶋津先生,私の前任校は千葉大の附属中学校でしたので,そこで教育学部の大学との連携研究の中で,法学部の嶋津先生が法教育に非常に興味を持っておられるということで,法経学部と連携をして授業をひとつ打ってみようということになりました。そのときに,さて,何をしようかと。それが私の法教育との出会いでもあったのですけれども。
 この研究会で,嶋津先生は論文を発表されているので,どこまで発表されたかというのを存じ上げないで言うのも申し訳ないのですが,アメリカの刑事事件について子供たちに話し合わせて,有罪か,無罪か,陪審員のようなものですが,それを10ぐらいのグループに分けて子供たちが話し合って,必死に話し合いながら一つの結論を出すということをしました。
 ところが,10グループぐらいあるうちの6つのグループが,結局どちらとも結論を出せなかったのです。それはそれで一つ予想できたことなのです。それで,子供たちの感想の中には,まず,一つにまとめるのが本当に難しかった,難しいと。それで,そうだねと,合意を形成していくのは本当に難しいねということ。それと,あと,自分の意見をしっかり持たないと,どんどん流されていってしまうということ。これを,そうだね,きみたちはそれを学んだと,この授業で学んだねということで,では,今度はもう一つ,民事というものがあると。では,民事について今度やっていこうということで,民事のことについて授業をする。
 これは割と身近といえば身近なのですが,隣のピアノの音がうるさいということで,また話し合わせて,子供たちには損害賠償が請求の何パーセント認められるかいうような結論の出させ方をしたのですが,また,同じように自分の意見をしっかり持って言わなければということが一つと,子供たちの授業が終わった後の一番の感想は,公平に考えるということの難しさ,「本当に公平に考えるというのは難しいね,先生」というようなことを言う子が大変多かったのです。
 もしかすると,これは,実はもう少し簡単にして隣の附属小学校でも同じようにやったのですが,そういうところを中学校,小学校,初等・中等教育の中で,こういった教育が組み込まれてくることを私はとても期待しますし,私もそういうことでこれからもいろいろと勉強していきたいというふうに思っています。
 今回,ここにいらっしゃる方々の出されている本とか,あと,インターネットでいろいろと活動されているのを見て,非常に刺激を受けましたし,これからもいろいろな機会の中で頑張っていきたいなというふうに思っております。
 ただ,先ほど橋本先生の発表の方でトゥールミン図式があったのですが,これも結局は合意形成をしていくということで,社会科においては,いろいろなところで合意形成をする,例えば私がやった一つとしては,エネルギー問題について話し合わせて,トゥールミンモデルを使って,最終的にお互いに意見をすり合わせて合意形成をしていくというような授業をしたことがあります。そういうことも法教育の中に通ずるところがあるのだろうなと意識をしながら授業をしていきたいというふうに思っております。以上です。

土井座長 どうもありがとうございます。どうぞ。

荻原委員 先生方のお話を聞いていて,何か共通して感じられたのは,時間が無いということと,何を教えたらよいかということで迷っているということが分かってきて,あと,それと,法律というのは厳しいものではなくて自分たちを守ってくれるものだという積極的な教え方だということが分かってきたのですけれども,現実的にあの教科書を見て,時間が無いといっても,子供たちの生活もあるし,この時間の無い中で一番教えなければいけない骨は何だと思っていらっしゃるかというところなのです。だから,多分新しい教科書になって,エンゲル係数も無くなった,家計も何とかも無くなった,あれも無くなった,これも無くくなったというのは,やはりそういうものを無くさないと,今回のような授業はできないということなのだろうと思うのです。今回の授業はいろいろなほかの授業から捻出してやられたものですから,公民の授業として子供たちに最低限どこを教えなければいけないのか。そして,その骨の部分をしっかり作っておけば,あとは自分で体得できる。新聞を読んで,下に解説記事が載っています,用語とか。それで十分いけるものだったら,別に授業中に教える必要はないのではないかとか,その辺の覚悟が多分先生方に無いのではないだろうかと思うのです。
 今のゆとり教育反対論もそうだと思うのですけれど,ある程度教えない覚悟,それがなければ,子供たちはもう目いっぱいで,やりきれないと思うのです。ですから,その交通整理をして,そして,今の子供たちにより良い公民を与えるためには,どこまで教えるか,どれを教えないかまで決めておいてもらわないと,きっと,あれもやれ,これもやればかりになって,どれもが中途半端になるのではないかなと思うのです。その辺の覚悟がどうかなと思ったのですけれど。

安藤委員 私は教科書のことをずっとやっていまして,何かすごく違う方向に話が進んでいて,私は先ほど言いそびれてしまったのですけれども,本当におっしゃったとおりのことが最初の根底にあったのですけれども,結果的に違う現場の声が上がってきてしまったので,私も先ほど言いづらかったのですけれども,おっしゃるとおりだと思います。その辺でお考えいただいてやっていただけたらなと。

土井座長 いかがでしょうか,よろしいでしょうか。
 予定しておりました時間が少し過ぎてしまいましたので,本日はこの程度にさせていただきたいと思います。
 本日は,先生方からいろいろと貴重な御意見をいただくことができまして,研究会にとって大変有意義であったろうと思います。
 先ほど複数の委員からも出たところですけれど,法教育の問題は様々な各種教育の問題であるという受けとめ方もあろうかとは思います。ただ,研究会として考えているところを私なりにまとめますと,法を教えるという部分について,個々の知識を教えるというのではなくて,今,議論に出ていたルールを守るとか,あるいは自分の意見をどう主張し,他人の意見をどのように聞いていくのかというような問題は,それは学校においては学校の生徒同士,あるいは生徒と学校の関係,あるいは彼らが社会に出ていけば彼らと社会の関係やら国との関係,あるいは企業など,様々な社会的関係,その基本にかかわる問題ではないかというふうに考えております。
 その意味では,これをどう教えるかということ自体が,学校の中で生徒たちがどういう議論の立て方,あるいは意見の言い方をするかというふうにかかわってくる問題だけに,現場の先生方の御意見,あるいはお考えというものをできるだけ伺う形で研究会としても今後議論を進めていければというふうに考えております。
 先生方には,本日,お忙しい中御出席いただきまして,大変ありがとうございました。
 次回は,本年12月15日,月曜日,午後3時半から,法務省大会議室において開催を予定しております。次回は,お茶の水女子大学の無藤教授から発達心理学についてのお話をいただいた上で,これまでのヒアリングや議論を踏まえた論点整理を行いたいと考えております。よろしくお願いします。
 それでは,本日の議事はここまでにいたしたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

午後4時45分 閉会