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法教育研究会第11回会議議事録

日時 平成16年5月25日(火)
午後2時~午後4時5分

場所 東京地検刑事部会議室
午後2時 開会


土井座長 まだお見えになっておられない委員もいるようですが,所定の時刻になりましたので,法教育研究会の第11回会議を開会させていただきます。
 まず,本日の配付資料の確認を,事務局から説明していただきたいと思います。それではお願いします。

大塲参事官 配付資料ですが,資料1から資料4までございます。資料1が,「海外視察の調査日程」,資料2が,江口委員によるレジュメ,資料3が,鈴木委員によるレジュメでございます。資料4が,第9回の会議の議事録でございます。以上が本日の配付資料でございます。

土井座長 どうもありがとうございました。
 それでは,本日の議事の方に入りたいと思います。本日のテーマは,「諸外国の法教育」ということでございます。これまで研究会の方では,アメリカやイギリスの法教育について取り上げてきたわけですが,今回は本研究会の委員である江口委員と鈴木委員に,実際にスウェーデンとフィンランドの2カ国を視察していただきましたので,両委員から両国における法や司法に関する教育の在り方について御報告をいただきたいと思います。
 両委員からの御報告に先立ちまして,両委員に随行された事務局の丸山部付の方から視察の全日程について御説明の方をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

丸山部付 それでは,資料1としてお配りいたしました「法教育研究会海外視察調査日程」を御覧いただきながら,御説明したいと思います。
 まず全日程なのですが,5月9日の日曜日に日本を出国しまして,その後5月10日の月曜日から14日の金曜日まで,スウェーデン,フィンランドの2か国を訪問し,5月15日土曜日にフィンランドを出国して日本に帰ってまいりました。2か国では,さまざまな教育関連施設を訪問してお話を伺い,視察を行いました。
 まずスウェーデンですが,第2回研究会で荻原委員の方から是非スウェーデンの法教育を取り上げていただきたいという御要望も出ましたように,今スウェーデンというのは法教育の先進国として取り上げられているところでもあります。私の手元にも幾つか本がありますが,例えば代表的なのは「あなた自身の社会」ということで,スウェーデンの中学校教科書を翻訳したもの,それからスウェーデンの教育ということで,「スウェーデンの『のびのび教育』」といった本も出されておりまして,今非常にスウェーデンの教育が注目されていることから,視察先の一つとしてスウェーデンを選択いたしました。
 他方フィンランドなのですが,これはスウェーデンの隣国であるにも関わらず,システム的にはかなり異なるところがありました。いわゆる高校の選択科目での法律の授業は充実しております。いずれも詳細な内容は江口委員と鈴木委員の御発表に譲りたいと思いますが,日本の法,それから司法に関する教育の在り方に大いに参考になると思われましたので,この2か国に行ってまいった次第でございます。
 それでは,個別の日程について御説明申し上げます。
 まず,スウェーデン初日からです。日程表を御覧になっていただきますと分かりますように,5月10日,この日は学校教育庁とヤーデスクールという中学校に参りました。ちなみに,スウェーデンと日本の時差は7時間あり,江口委員,鈴木委員には時差にもめげず最初の視察先に行っていただきました。
 それでは,スライドを御覧になりながら説明をお聞きください。

(スライド映写)

〔スライド1〕 スウェーデンの初日ですが,学校教育庁というところに午前中参りました。学校教育庁というところは,スウェーデンの学校教育全体の教育指針を定めているところということになっています。スウェーデンというところは,学校教育で何を達成するかという目標を定めていまして,その目標を各学校が達成できているかということを全国各地に学校教育庁の職員が見て回る,こんな感じのシステムになっていました。スウェーデンにも日本の文部科学省に相当するところがあるのですが,文部科学省は大きな抽象的な教育目標を定めて,学校教育庁はより具体的な目標を定める,そういう場所であるとお考えください。とはいえ,学校教育庁といっても日本の文部科学省のような大規模な場所なのだろうなといった想定をして訪問したのですが,御覧いただいているとおり,非常にこじんまりとした建物の中に入っているといった状況でございました。
〔スライド2〕 説明してくださったのは,この写真の奥に立っていらっしゃいます教育指針,教育規定部部長のシャロット・ウィスランデルさんという方でございました。訪問先では,このようにきちんとスライドを用意していただいて,非常に丁寧に御説明いただいたのが印象的でございました。内容については,スウェーデンにおける学校教育制度全般,それから法及び司法に関する教育をどのように分配して行っているかといった概要についてお話しをいただいたところでございます。
〔スライド3〕 この日の午後なのですが,ヤーデスクールという中学校に伺いました。説明してくださったのは,この奥の方に座られております社会科教員のフレードリック・ボーストロームさんという方です。この方は,実際に社会科教員として社会を学生に教えておられる方でしたので,御自分の授業の内容を具体的に紹介してくださって,中学校における法及び司法に関する教育の実践等について,詳しく説明をしてくださっています。
〔スライド4〕 写真の手前にいろいろ広げてあるのは,先生が実際に利用している教科書です。そのような教科書を見せていただきながら説明を受けたところであります。
〔スライド5〕 5月11日,翌日火曜日の午前中なのですが,これはストックホルムの地方裁判所を訪問しました。なぜここに行ったかといいますと,前日ヤーデスクールの先生から7年生,いわゆる日本で言う中学校1年生は法と司法の勉強をして,その後大体必ず裁判所に法廷傍聴に行くのだという話をしていただいたものですから,ではもしかしたら実際に見学をしに来ている生徒がいるかもしれないねということで,地方裁判所に行ってみました。行ってみたところ……。
〔スライド6〕 実際にこのように法廷を見に来ている7年生(中学校1年生)の生徒たちと会うことができました。このときの状況は,後で鈴木委員から簡単に御説明があると思います。
〔スライド7〕 これは,二つ目の訪問先でありますオストゥラ・レアル高等学校というところです。この高校は,今から4年前に法律科というものを導入して,日本で言いますと大学の法学部の基礎コースに相当するものを,高校の3年間で前倒し的に教えようと,そういう非常に先進的な取り組みを実験的に行っている高校でした。
〔スライド8〕 対応してくださったのは,校長先生のウルス・グーベルさん,法律教員のリッカド・ヴィンデさん,クリスティーナ・オードクヴィストさん,アン・ヘードマンさんの3人でした。これは,その法律科目の先生のお一人が,スライドを使ってこの高校のプログラムについてお話をしてくださっているところです。
〔スライド9〕 さらに,この日の午後,教科書の出版会社である「自然と文化社」に参りました。ここでは,発行部長のティーア・ハンマルベックさんという方と,プロジェクトリーダーのアンネ・リー・シャーンホルムさんという方に対応していただきました。内容としては,教科書にどのような法とか司法に関する記述内容があるかということを詳細に説明していただきました。そこでは,スウェーデンの小学校,中学校,高校の教科書を見せていただきました。もちろん教科書なのであいにくスウェーデン語なのですが,イラストなどを見ていただきますと何を教えているかという雰囲気は分かると思います。
 また中学校7年生の教科書の内容につきましては,後ほど江口委員から詳しい御説明があると思います。
〔スライド10〕 5月12日水曜日。この日は一応スウェーデンでの最終日ということでしたので,午前中にストックホルム教育大学を訪問いたしました。ここは教育大学の名前のとおり,教員を養成している大学ということになっています。
〔スライド11〕 対応してくださったのは,教育部長のアグネータ・ブローネスさんという方と,教員のラーシュ・ノーハゲンさんというお二人でございました。ここでは,スウェーデンにおいてどのように社会科教員を養成しているかということをお話しいただきました。
 以上でスウェーデンの日程を終えまして,実はこのストックホルム教育大学が終わりました後,空港へ直行して全員フィンランドに向かったと,こういう日程になっております。
〔スライド12〕 5月13日木曜日,この日はフィンランド視察の初日ということでしたが,午前9時からヘルシンキ大学教員養成専門学部というところにお邪魔いたしました。
〔スライド13〕 対応者は,助教授のヤン・リョフシュトロムさんという方でして,こちらでは,フィンランドにおいてどうやって社会科教員を養成しているかという貴重なお話を伺いました。
〔スライド14〕 引き続き,この日の12時30分からはフィンランドの法務省を訪問いたしました。ここでは,政府顧問官のヘイッキ・リンドルースさん,この方は一番奥にいらっしゃる説明の方ですが,この政府顧問官の方がフィンランドの参審員制度の実情などについてお話くださいました。フィンランドについて参審員制度の実情ですとか,教育などについてもお話があるということで伺ったのですが,日本の裁判員制度の方にむしろ御興味が強くて,いろいろ質問攻めに遭って帰ってきたというような状況でもありました。
〔スライド15〕 引き続き,13時30分からは,フィンランドの国家教育委員会というところを訪問いたしました。フィンランドでは,国家教育委員会というところがガイドラインというものを定めていて,そのガイドラインにどう生徒たちの能力を達成させるかということは,これは完全に学校の裁量に委ねられているということでした。いずれにしましても,そのガイドラインを作っているのがこの国家教育委員会ということになります。
〔スライド16〕 対応してくださったのは,一番奥に座られている上級検査官のベッカ・イイヴォネンさんという方でございます。この方からは,フィンランドにおける学校教育制度全般,それから法及び司法に関する教育の分配がどのようになされているかということの説明がございました。なお,実はこの説明をしてくださったベッカ・イイヴォネンさんという方は,8年間参審員をお務めになっているという話を雑談していたところでございました。
〔スライド17〕 さて,最終日5月14日金曜日なのですが,この日は午前9時からヘルシンキ地方裁判所を訪問いたしました。
〔スライド18〕 対応してくださったのは,左手の真ん中あたりに座られているのが裁判所長,裁判官の方で,裁判所の所長をされているアンテロ・ヌオットさんという方,それから裁判所長の一つ奥に座られている書記官のピルッコ・ニッシラさんという方です。この方は,参審員にどういうふうに事件を割り当てていくかという事件配転などを担当されている書記官の方ということでした。裁判所長の一つ手前にいらっしゃる若い女性が,ちょっと正確ではないのですが,裁判官見習いのようなものだというふうに御説明されたのですが,ちょっと正確な地位はよく分かりませんでした。一番手前にいらっしゃる赤い洋服を着た女性が参審員のルル・ネノネンさんという方でございます。これはフィンランドに行って分かったのですが,実はフィンランドの参審員制度というのは,今から約10年前に全国的に導入されたということでして,このルルさんという参審員の方はその間10年間ずっと参審員をお務めになっていて,参審員で作られる参審員協会の会長もされている,そういう方でございました。ここでは参審員制度の歴史,10年前に導入されたということですとか,現在の運用がどうなっているのかといったようなことについてのお話を伺いました。
 実は,このいろいろ説明していただいた後,実際の法廷見学をしたのですが,そうしたところ壇上に前日国家教育委員会で説明していただいたベッカさんという参審員を8年務めているとおっしゃっていた男性ですが,その方が壇上に参審員として座っていましたので,お互いちょっと目を見交わして偶然にびっくりというような出会いもございました。
〔スライド19〕 これはフィンランド最後の日程でありますヴォサーリ高等学校を訪問したときの様子です。ここは,中学校も併設されている非常に規模の大きい学校なのですが,先生方の御好意で給食をいただくことになりまして,非常に巨大なカフェテリアのところで先生方と昼食をとりながらお話をさせていただいている場面です。
〔スライド20〕〔スライド21〕 このヴォサーリ高等学校での対応をしていただいた方は,社会科教員のアンッティ・マーペラさんという方でした。高校における法律科目の実践について,詳しい内容を説明してくださいました。
 これですべての全日程を無事終了して,5月15日,翌日土曜日にフィンランドを出発して,日本への帰国の途に着いたという次第でございます。この日程表を御覧いただきましてもお分かりになるかと思いますが,非常に盛りだくさんな日程でございまして,しかも先週の日曜日に帰ってきたばかりなのですが,今日お二人の委員に発表していただくということで,非常に御苦労をおかけしました。視察の内容自体は非常に盛りだくさんで,大変有意義な視察ができたと思っております。江口委員,鈴木委員には非常に感謝申し上げております。どうもありがとうございました。

土井座長 どうもありがとうございました。短期間に非常に濃密な視察を行っていただきまして,本当にありがとうございます。
 それでは,さっそく江口委員の方からスウェーデンにおける法及び司法に関する教育の内容について御報告いただきたいと思います。江口委員,よろしくお願いいたします。

江口委員 今,丸山部付から紹介ありましたように,なかなか濃密な視察でした。まだ帰国してから1週間足らずであり,実はスウェーデン語もフィンランド語もほとんど分からないことや,私自身の英語能力も拙いこともあって,全体像は把握できないと思います。資料等は持参いたしましたので,現時点での簡単なご報告をいたします。丸山部付と鈴木委員も同行されたため,私の間違いがあれば,後で補足ないしは訂正をしていただければと思います。
 丸山部付から,スウェーデンの学校教育の全体像が説明されました。まず,私も含め丸山部付も鈴木委員も行く前は着目しなかったことですが,実はスウェーデンにしてもフィンランドにしても,社会科とともに宗教という授業が結構設定されていました。そのあたりからも法と宗教との絡みで教育が安定的に動いているような気がします。ただし,宗教教育に関してはほとんど調べてきませんでした。時間数が少し分かる程度です。
 それから二つ目の,日本の文部科学省にあたる教育科学省は議会の決定に基づいて教育全体,特に予算等の大枠を決めたり,国家の教育方針の概略を決めたりしていました。日本の学習指導要領にあたるナショナル・カリキュラムを作り,その実効性を監督しているのは学校庁であり,具体的には,インスペクター(視学官)が行っている。お隣の大杉委員は視学官であり,大杉委員と同じ位置にある。その視学官が学校へ行ってナショナル・カリキュラムにある教育目標を本当にやっているのか調査・監督する権限があるようです。あるいは各学校は学校庁へ報告する義務があるとのことでした。そのため結構まとまりのあるカリキュラム行政が可能であるとのことでした。それが大きな特徴かと思います。
 それから三つ目として,思った以上に教育の自由化や分権化が基本にあります。基本的には,学校区及びそれぞれの地区の教育,それから教師と子どもたちが話し合って柔軟に授業を考えたり教科書を変えたりするようなところがあります。この学校ではこの教科書を使うとか,この学年ではこっちの教科書を使うとかという,日本では想定できない教科書等の組み替えも,教師と子どもたちでやれるとのことでした。
 それから四つ目として,スウェーデンにしてもフィンランドにしても,実は日本がそれぞれの国の教育に着目する理由は,教育の学力テストの国際比較で,いずれも理数系及び言語能力に対して高い成績を示しているためだろうと思います。このように高い成績を示していることが着目されているのですが,決して社会科や公民科の時間数も少ないわけではなく,選択制がうまく機能していることだと思います。社会科は想像以上に多いです。また社会科,歴史,地理,宗教というのが同時進行で,もし社会系科目であるとするならば,それがずっとグレード1からグレード9まで学習できるようになっていますから,予想以上に社会系教科に関する時間があると思われます。
 学校制度については,幾つかのタイプの学校がありますが,日本の学校教育の義務教育は似ているかなという感じがしました。学校制度はそれほど日本と異なっているわけではありません。
 それから,本題の法や司法の教育についてでありますが,学校庁や教員養成大学の社会科の研究者の発言を総合して考えてみたいと思います。小・中・高等学校にあたる段階に設定されている社会科による民主主義の教育の一環に位置づけられているいわゆる法教育,司法に関係するような教育と,先ほどの丸山部付から報告のあったレアル・ギムナジウムにおける経済教育の中で法に特化していくような,いわゆる法学入門教育が同時に並立しているようです。先ほども説明があったように,民主主義という言葉を,あちこちで何回も聞きました。行った先々で,まずそのことが我々の教育の基本であると言われました。スウェーデン流民主主義の中で法や司法が学ばれるし,学ばなければいけないという,そんなニュアンスが非常に強かったような気がします。
 また資料の最後に書きましたように,全体としては日本より社会科ないし社会参加を通じて教育の学習機会は多く,民主主義として法や司法が必要な道具であるという認識が一般的にあるように思います。必修でなくても,ある意味では,これらの教育は当然やっていくんだということだろうと思います。これは,スウェーデン,フィンランドに共通していると思います。
 先ほどの報告の中で,2番目に訪れた中学校の先生との懇談が,私には非常に役に立ちました。先生が法や司法教育について自信を持って喋られたことが印象的でした。中学校の1年生にあたる第7学年に,主に法や司法の教育が位置づいているとのことでした。そして先ほど報告のあった自然と文化社という,スウェーデンの学校での採択率が50%程度の教科書を用いて,具体的な授業例を説明してくださいました。
 この先生の行っている授業スタイルについては,資料で段階的に示してあります。これは私のメモなのですけれども,例えば最初にどういう場面で法律に出会ってきたか,これを子どもたちが具体的に自分の立場から話しなさいという形でスタートしていきます。意外と大切なのは次の学習だと思います。小さい犯罪やあるいは少年が罪を犯しつつある状況の中で,具体的に万引きとか自転車窃盗などの法律違反などについてきちんと授業で扱うことです。これはちょっと日本と違うのではないかと考えます。日本の場合には,こういう教材は,後から事件が起きたらやるという形があると思いますが,スウェーデンにしてもフィンランドにしても,先にこういう違反の問題があることを考えるスタイルをとっています。そして,3番目の事例である自転車窃盗の場合には,どういう法制度があって,どういう法手続があって,どういう機関,具体的には裁判所をはじめ警察やあるいは弁護士が,どのような役割を演じているかをあらかじめ学習することになっています。
 それから,法律関係者の具体的な仕事や課程も説明するようです。実は日本の学習指導要領の中学校にもこのような学習は,位置づけられているのですが,それほど丁寧に扱われていないように思います。それから,学習では模擬裁判や裁判傍聴を行うのが一般的であるとのことでした。この先生の指摘は見事にあたり,裁判傍聴を次の日に偶然僕らは経験することになるわけです。法廷を傍聴し,それを教材として使う,裁判所の判断を考えたりするというのは,スウェーデンの中学生には結構当たり前のようでした。偶然会ったわけですから,確率的には高いのではないかという気がします。
 それから,ロールプレイやシミュレーションといった体験的な手法をよく使うということでした。実は本研究会で『あなた自身の社会』という教科書が紹介されたわけですが,ああいうパターンの授業はスウェーデンでは通例見られるスタイルでした。むしろ,学校庁が示したプログラムに従って教科書を作ればああなると,私自身は感じたわけです。
 それから法廷傍聴では,いろいろな意見を調査して,自分の見解を持つことが大切だと指摘されました。私はこのあたりは専門家ではないのでよく分かりませんでしたが,ある事件に関して判決や量刑みたいなものを戻って教科書を利用したりして,先生の指導のもとでやるのだろうと思います。そんな体験をしていって子どもたちが司法の何たるかということを勉強していくようです。
 それから,もっと広い意味で,このような学習を通じて判決や罰則などを考えたり,人権の観点から死刑制度の問題なども考えるとのことでした。こういう人権はどう考えるべきなのかといった,そういう問題についても討論するようです。こういう広い意味で,法と人権を議論することも,法を学ぶことになると考えていると思われます。
 それから,どうして人は法を犯すのかなどのいろいろなデータ等を使ったりして社会の実際を考えさせたりもするそうです。スウェーデンは,私も後で調べればいいと思って余り調べていないのですが,そんなに犯罪が多いとは思えないようです。それから国家としての規模も900万人程度ですから,結構規模としては日本のある地方,九州ぐらいのところですから,まあ十分目が行き届くような教育上の対応できるのかなという気がします。フィンランドは極端に犯罪が少なかったような気もしますけれども,いわゆる法や犯罪の情報を適切に扱うということだろうと思います。
 資料の9番目あたりから,その先生が考える基本原則を記しました。「社会の中で何をしてよいのか,何をしてはいけないのかということを考える」これを各人が考えるのが原則だとかが説明されたように思います。個人として,独立して考えるのが大切であるということです。これは自分たちが今後成長していくために考えることなのだと,そんなニュアンスをやはりフィンランドでも言われました。このあたりは原則ではないでしょうか。これが民主主義教育の一環として,法や司法を学ぶ意味であろうと考えます。
 それから,前述したように民主主義という概念が本当に基本にあって,生徒と先生が一緒に,ともに考えて,教材もその時々で変えながら,生きた教育をするとのことでした。ただし,目標を達成するように要求されていることも確かです。
 なお,そこに書いているように教師の裁量権は非常に強いそうです。教科書自体は,アメリカと同じで据え置きタイプでした。各人が持つのではなくて,学校に据え置きとして置かれているタイプで,結構ボリュームの厚い教科書から薄い教科書まで,同時に学校に集められ,利用されているようです。
 それから,小学校でも権利や民主主義の原則の学習が設定されているとのことでした。これは後ほど教科書のところでも触れますが,小学校もこんなことをやっていますよということを教えていただきました。
 以上が中学校の先生からの聞き取りの概略です。
 次に高等学校の訪問について紹介いたします。中学校にしても,高等学校にしても,社会科という名前で実施されています。英語に直すとシビックとされており,社会科はむしろ公民教育に近いと考えられます。ここの高校ではシビック・プログラム-法律-があり,3年間通してやっているようです。実はこの高校は,日本で言うと早稲田や慶応の附属かなと思うぐらいの立派な高校でした。エリート高と言ったら語弊があると思いますけれども,法や司法をといった専門的な学問の学習を充実させようとしており,そういうものをやりたいという生徒がトライする,あるいは選抜されてそこに行くということでした。非常に人気の高い学校だと言っていました。
 学校の説明では,法学を学ぶことの意義を力説されたわけですが,実は私自身法律自体が難しくて分からないこともあり少しとまどいました。学校の授業を参観させていただきましたが,それなりに難しい授業でした。内容は国際法に関する質問を教師が行い,それに生徒が答える,応答するという場面でした。通訳の方が教師の質問内容をファックスで送られて,ここにちょっとあるのですけれども,最初の二つ,三つ読ませていただきますと,結構難しいです。「国際組織は無政府主義の性格を持っているとは,どういう意味ですか」,これを高校生があらかじめ調べてきて,答えるわけです。それから,例えば「国際法における二つの部分,条約法と慣習法を説明してください」といことなどです。
 授業を見た場面は,「一国において,人権が尊重されていることに責任を持つのはだれですか」というところでした。私自身高校生が答えるには難しいテーマなのだろうと思います。多分こういうことを答えることでトレーニングしながら,法や司法に対してセンスを高めていくという,そんな感じの授業だったと思います。
 ここの高校を参観して,少し興味がありました。それは,ヨーロッパの経済の動きと連動しながら法を学ぶ,経済法あるいは消費者に関わるような法律を学ぶというのが,充実しているということです。このギムナジウムのカリキュラムは英文で書いてありますし,表になっておりますので,申し訳ありませんが後ほど見ていただけると,内容はお分かりになると思います。公民の時間は100時間で,その中で法が結構学習されていると言えます。
 また資料2の方に戻らせていただきますと,この高校では,問答形式の授業を見学させていただきました。先ほども触れましたが,こういうような,ある意味では法律の学習を充実している高校は,スウェーデン国内で10校ぐらいあると言っていました。10校ぐらいあって,こうした動きをもっと拡大したいということのようでした。
 それから,こういうことが可能なのは,高校での科目の設定や選択の幅が広いことだと思います。ある高校は法の学習を中心にするというような形で展開するということを宣言して,例えば法や司法に関する教育の充実を図るというようなことが可能でした。それが可能でないと,全国統一カリキュラムの目標を達成するのにこの道具を使わなければならないということになり,学校の特色が出しにくくなります。なお,先ほどの繰り返しになるかもしれませんが,経済活動やヨーロッパとの関係で,法が問題にされていると思われます。EUとの関係,経済活動だけでなく,今後は人権の問題なんかもEUとの絡みで社会が動いていくと考えられますから,そういうようなことも大切だということだろうと思います。
 それから,経済に関する法律をしっかり学習していくのだというような気がしました。
 最後に,教室に行ったときにかなり分厚い六法に近い法令集を見せていただきました。多分あれは判例とか過去のケースとかいろいろなことが載っているようなものですが,高校生が分からなかったらすぐその場で使うという,そんな資料集だったと思います。これなども法学入門を現実にやっているという感じがしました。
 こういうスタイルは,実はフィンランドでも似たようなところがありまして,フィンランドの高校の選択の科目は,法学入門そのもののように思えました。
 次にスウェーデンの教科書について報告します。教科書に描かれた法や司法の内容については,回覧資料や教科書を見てもらえるといいと思います。私もスウェーデン語は分かりません。絵を見てもらえればある程度は分かると思います。
 小学校は後ほど喋らせていただくとして,中学校の7学年という教科書をご覧ください。この教科書は,採択率50%でよく使われているものです。まず法の学習は184ページから出てきます。そこではスポーツの中とルールが扱われ,どんな時でもルールがあることが示されています。これは,社会においてルールがあること,あるいはそれをみんなが承認していることを教えているところだと思います。さらに規則があることに対して関心を持つことが大切だということだろうと思います。それから,このころから犯罪を犯すような年齢に達していくので,ルールの大切さみたいものをまず勉強してほしいということだろうと考えます。
 これはちょっと違うことですが,アメリカの法教育でもスポーツ・アンド・ルールというテキストがあります。だから,法をスポーツなどの身近なところから考えるのは万国共通かなという気がします。ある目標を達成し,ある自由な活動をするためにルールがあるということを,まず考えさせるということです。
 それから,188ページです。ここは二人の男の子による法律違反の事例です。これは多分窃盗とかをしていく場面です。窃盗場面で,そこの中で例えば証人とか逮捕とか勾留とか法廷とか裁判というような用語を説明をし,警察官,検察官,弁護士,裁判官などの基本的な役割を説明するそうです。こうした司法プロセスを一般的に知った上で,だんだん裁判所見学が実施されていくという流れです。
 次に事件が起きてから4年後の関係者の様子を説明して,特に被害者の経験を考えさせるのが198ページからの内容です。198ページ以後,法律的な決定があった後の法的解決の後の被害者についても少し説明しているわけです。
 それから,若者と犯罪,若者と薬物,グループの圧力,あるいは集団の中での犯罪の問題についても考えるように工夫されています。
 202ページでは,スウェーデンの刑法の条文の一部分が示され,刑事司法の基本が紹介されています。
 204ページから205ページの内容は発想的な部分です。それまでは共通必修の内容であり,みんなが基本的には学習します。選択必修あるいは発展コースで,学校で対応が違っています。内容は,犯罪の問題,矯正の問題,もっと細かい裁判所システムの問題などで法や司法を総合的に議論するねらいがあります。この教科書は間違いなく日本の教科書よりも法や司法に関しては多いと思われます。
 それから,後ほど教科書を見ていただければ分かると思いますが,いじめの問題,暴力の問題とその解決についての内容もあります。『あなた自身の社会』にも出てきたように,いじめ問題や暴力問題の解決に結構ページがさかれています。これはナショナル・カリキュラムの中でも規定されており,教科書がそれに連動して作られているからだと考えられます。
 それから,小学校についてです。小学校では法や司法についてやっていないのかというと,小学校は幾つかの段階を踏んで学習されているようです。一般的には,民主主義における正しい対応とか法の在り方とか,そんな感じで勉強しているようです。また具体的には,学級会とか学校会とかというところで,学校の民主主義を取り上げながら,民主主義とは何かというような学習をすることがあるようです。小学校の1年から3年用のテキストと,小学校の4年から6年用のテキストの一部には,民主的な政治とは何かという中で,法や司法が扱われています。
 それから,政治過程を説明する中で,法や司法がないときにはどうなるのか,あるいは法や司法は自分たちが勝ち取ってきたものであることを外国のことを事例に入れたり,どうして法律や罰則が必要なのとかなどが学習できるようになっています。それから,スウェーデン人のこれは常識なのか良識なのか,社会的な彼らの考え方なのか分かりませんが,民主主義における価値みたいなものを共有することを大切にしています。
 それから,小学校の3年あたりでは,子どもの権利を権利条約を利用したりして,学習しているとのことでした。日本の場合には公民というのがあることはあるのですけれども,法や司法のある部分に注目してまとめることはちょっと不可能な社会科の状況になっていると思いますが,スウェーデンに関してはまとめられるような気がしました。それは民主主義と法ということで筋を通していると思いました。
 私の資料にもう一度戻りますと,今教科書のことについて私なりの報告をしました。実は教科書に関しては,ボニエルという教科書会社も持ってきました。そんなにパターンとしては違わないです。だから,『あなた自身の社会』とそれからここの「自然と文化社」と「ボニエル」の社会科の教科書は,構造としてはそんなに変わってはいないということです。日本の検定制度のようなものはなく,自主的に教科書は作成されていますが,結構教科書会社はモニターされる,あるいは教科書会社がしっかりしているという,そういう言葉をよく聞きました。教科書会社がしっかりしているから大丈夫だとも言っていました。教科書が,社会と子どもたちの意識とそんなに離れていないという印象を持ちました。
 それから最後の教員養成については,私の専門なのですけれども,これはちょっと法教育と余り関係ないのでポイントだけ言います。基本的には法律の必修単位は5年前あたりからなくなってきたようです。必修で法律学を学ばなければならないという教員養成制度はない。ただし,政治学とか社会学とか経済学の中で履修されていました。特に政治学の中で刑法や民法のことは学習するようです。それから,ストックホルム大学で法律学の専門家の授業を受ける。教員養成大学は,教員養成の手法,あるいは教育とは何かということに特化した大学だから,そのことに関しては責任を負うけれども,内容,専門に関しては,例えば日本の大学に置き換えて言うと,大学の教育学部ではなく,大学の法学部や文学部で学ぶシステムになっているとのことでした。
 それからもう一つ面白かったのは,教育方法について非常に充実した指導がなされておりました。ちゃんと指導できるかどうかということを教育評価,教育方法の面から教員養成で扱っているということでした。膨大なレポートを出してそれをチェックしたりしているとのことでした。そんな形でトレーニングをしているようです。彼らは教員になるためには,大学院を出て,必要がありその段階で教授法をしっかり学んでいくということだろうと思います。だから専門性も非常に高い。具体的には,先ほどの中学校の先生や高校の先生は,法の勉強は自主的に,あるいは自分で時間を見つけて勉強していくという方法で知識を増やしていかれたそうです。
 これが私のスウェーデンの報告で,裁判所に関しましてはほとんど言及できませんでしたので鈴木委員にちょっとフォローしていただけると助かるのですが。

鈴木委員 裁判所は,先ほどありましたけれども,法廷傍聴しているということで,裁判所ぐらい見ておいて方がいいということで朝行って,全く偶然裁判所の入り口の端っこに彼らが座っているのを見つけて,僕なんかは割とぐるっと裁判所の周りでも見学しようと思っていたのですけれども,ちょっと彼らに声をかけてみようという話になって,声をかけたら,傍聴に来ているのだと。それで,先生を待っているということで,では先生が来て,ちょっとお話をしましょうということで,15分ぐらい待ちましたかね。その間いろいろ彼らから話を聞いたのですけれども,彼らも初めての経験なので非常に楽しみにしている。日本とちょっと違うのは,男の子の方が割とはしゃいでいまして,いろんな話をしてくれました。
 先生がいらっしゃって,じゃあこういうことで日本から来ているのです。我々も傍聴するので,一緒の法廷を見せてもらえないだろうかという話をしたら,いや,もう僕らも法廷はこれから決めるのだということで,一緒に来なさいということで,受付のところに行って,何をするかというと,どんな事件があるかというのを見せてもらって,先生の方で事件を選んで,それでちょうど2グループに分かれて見るということで,男の先生と女の先生がいらしたのですが,男の先生の方のグループにくっつこうということでついてきました。
 実際は飲酒運転の事件で,当日でもう結審する。それを先生の方の目論見は,参審の裁判ですけれども,全部を見て,それで見て終わった段階で帰って,学校で判決を予想する議論をするということを想定しているのだということだったです。我々もだからそういうものだと思って入りまして傍聴していたのですが,実はすごく手続に時間がかかっていまして,何をやっているのだろうか最初よく分からなかったのです。ところが後,休憩になったので出てきて,通訳の人に聞くと,飲酒運転は何件かあって,それは全部認めています。だけれども,実はインターネットを使ったクレジットカードの詐欺の事件がこれは絡んでいて,それについては否認をしていて争っています。今その部分について,検事の側が説明を終えたところです。これから被告人質問になります。それは学校の先生の方も分かっていて,どうしよう,どうしよう。時間がもう本当は30分ぐらいで切り上げるつもりが,とりあえず休憩時間終わって最初聞くけれども,もう今日はしようがないので途中で中座して帰らせますというようなお話でした。
 しかし,そのとき僕が印象的だったのは,生徒たちは朝早くて,法廷に日が差し込んでいて生暖かくなってきて,ちょっと眠い雰囲気があったのですけれども,学校の先生が非常に熱心に聞いていました。それで要所要所メモもとっていて,多分学校に帰ってから何があったかを生徒と議論することをちゃんとメモをとっているのだと思います。裁判所の側は,そういう意味で言うと余り積極的に何かしてくれるわけではなくて,来るのは当たり前ですけれども,裁判官が何か説明するとか,そういうようなことがあるということではないようです。学校の先生に聞くと,たまにそういう裁判官もいるけれども,普通はそういうことはないというようなお話でした。
 あの子たちが学校に帰ってからどんな話をしたのか分かりませんけれども,先生がかなりリードする形で話ができるのかと。それから,やはり刑事事件を見せることの意味は,一定程度日本と同じようにあるのかということを思っています。学年は,あれは中学の1年生ぐらいの子たちですね。だから男の子はまだ幼くて,ポケモンの話題とか,そういうようなことも,結構日本の漫画がブームになっているみたいで,そういう話まで出ていました。そんなところであります。
 事件そのものは,言葉も分からないので,私もよく分かりませんでした。

江口委員 大体私の方からはそんなところです。

土井座長 ありがとうございました。続きまして鈴木委員の方から,フィンランドの法及び司法に関する教育の内容について御報告をいただきたいと思います。よろしくお願いします。

鈴木委員 私の方は,本当に簡単なレジュメしかお配りしておりませんのであれですけれども,まずスウェーデンとフィンランド,似たようなことを恐らくやっているのだろうと思って行ったところが,どうも違うというのが印象的だった。それから,隣同士の国ですので,当然いろいろな思いも相互にあるということもよく理解しました。最初にスウェーデンを見てきましたとか言うと,そっちとうちは違うということを言われまして,それこそアメリカなどを出そうものなら,ヨーロッパは違うんだというようなこともありまして,最初はちょっと戸惑いましたけれども。ただ根本的に,これは江口委員も先ほどスウェーデンのときにお話しされましたが,まず理解しておかなければいけないのは,人口が500万ちょっとであるということだと思います。それから,国土は日本よりちょっと少ないぐらいですけれども,とにかく人口の少なさ,そういう意味で言うと小回りのきく教育制度ができるということだろうと思います。ヘルシンキが人口の56万ですので,日本で言うとどこぐらいになるのですかね,本当にそんな大きなところではありません。
 教育制度の特徴は,やはり地方分権が非常に進んでいるということです。ですから,国家の方でもうきちっと決めたものを徹底するというのではなくて,先ほどありましたけれども,国家教育委員会の方でガイドラインを作って,それを自治体,さらに言うと学校レベルで実施していくということであります。ヘルシンキの場合には各学校が教育課程を作成して,市が認可をするというような構成をとっています。これは市によって,市の方で教育課程を作るというところもあるようですけれども,とにかくそういう形で行われています。それから,一クラスが20名程度という本当に少人数の授業になっているということも,一つの特徴だろうと思います。
 それから,法に関する教育は,先ほどのスウェーデンと大きく違っているのは,義務教育段階でスウェーデンの場合にはデモクラシーがありましたけれども,各学年,小学校から中学の3年生まで段階を追って教えていくのですが,フィンランドにおける社会科の授業の本当の核心は歴史です。これは先ほどもありましたけれども,スウェーデンに統治されていた時代,それからロシアとの関係があった時代,そんな中で独立をしたという,その歴史的経緯がありますので,その教育がアイデンティティだというところだと思います。ですから義務教育,中学まででは,歴史が本当に重視されているということです。これも歴史と我々が聞くと,原始時代から始まって近代はやらないのですねみたいな発想になるのですが,実は逆転していて,1900年以降,本当に独立する直前ぐらいから現在までの歴史を教えるということで,そこが中心になっているということでした。
 そうはいっても,では社会科でデモクラシーとかそういうことはやらないのかというと,ここで先ほど出ていましたフィンランドの教員養成の学部の先生のお話だと,プロジェクトというか参画というか,そういう授業というか学校としての取り組みをやっている。これは何かというと,例えば住んでいる地域の問題について子どもたちにその問題をどう解決したらいいかということについて考えさせて,意見を出させる。そして,その出させた意見を,それこそ政治レベルなのかあるいは学校レベルなのか,社会レベルなのか分かりませんが,いろんなレベルに影響を与えるような活動をさせるということを取り組んでいる。
 この発端というか,そもそもそういうことを始めるようになった経緯は,先ほど江口委員からもちょっとありましたけれども,国際比較の中でフィンランドの子どもたちが社会の知識の部分は非常に高いレベルを示すのに対して,社会に関わるという部分に関してはむしろ国際的な標準からすると劣っているという評価がされてしまった。そんな中で,自分たちが社会とどう関わるのか,社会にどういう影響を与えていくのかということを体験してもらうような活動を重視せざるを得なくなってきている。そのモチベーションを与える方法として,この学習方法をとっているということを言っておりました。
 これは荻原委員からしきりに出ていたこととかなり関わると思うのですが,身近な社会問題について先生がある程度リーダーシップをとって,子どもたちと関わってアイディアを出していく。それを実際の政治あるいは社会に還元していくということをやっているようであります。ただこれも,実は幾つかの側面があって,そういう経緯で今非常にやられてはいるのですけれども,一つは問題として出されていたのは,子どもたちが一生懸命頑張れば頑張るほどいいものができるのですけれども,それを大人社会の方が受け入れてくれるかどうかという大きなハードルがあって,もし受け入れてくれないということになると非常にがっかりしてしまう。そして,そういうのに関わることに対して無力感みたいなのが生じてしまって,その部分が少し問題としてはあるということを言っておられました。それから,そういう中でむしろ社会とか大きな問題よりも,学校の問題,学校の周辺の問題に限って取り組むということがいいのではないかというようなことが最近言われているということでありました。
 それからもう一つは,1970年代のころにはいわゆる生徒会活動というのが非常に活発に行われていて,そのときにそれこそ地域も巻き込んで動くというようなことがあったのですが,当時やはり地域の社会には政治とかそういうのも関わってきていますから,政党とかそういうのが関わりを始めて,ちょっと変な方向に向かってしまった時期がある。そういう部分で,年輩の先生たちはこの学習方法についてはちょっと否定的な目で見ている部分がないわけではないということでした。ただ,実際にやってみると,子どもたちのアイディアは非常に立派なものが出てくる,予想外に立派なものも出てくるので,現在のところ肯定的に受けとめられているということでありました。
 このプロジェクトはいろんな影響を及ぼしておりまして,教師になろうとする学生,つまり先ほどの教員養成の学部ですけれども,そこでも結局そういう学習のリーダーになってもらうことをやってもらわなければいけないもので,その大学の中でもこのプロジェクトというか,参画ということを取り上げざるを得ない。ですから,大学の運営に関しても学生たちに関わってもらうというような形でやっていくことになるということで,そういう余波も出ているということでありました。
 この4番目に,社会科において教えられているということでありますが,これは基本的には知識の部分になります。内容としては,社会としては,国の政治システムだとか経済状況だとか,経済だとか,そういうものが入っていますけれども,そして教える側も先ほどからありますように歴史を学んでいる人たちが中心になっているということで,社会学あるいは法学といったものを専門に学んだ人は少ないということでありました。かつては社会科というものを専攻するコースが教員養成のコースにもあったそうですけれども,現在はそれはないということで,むしろその社会科を教えることについては研修を行うという形で行われているそうです。その研修は,歴史社会科の教育学会というものがあって,そこでスクーリングだとか講義だとかというもので行っているということです。
 この研修会には専門家,ここでの専門家というのは各省庁の担当官であるとか裁判官であるとか弁護士など,そういう法律の実務家だとか,それから経済というと,そういう経済活動をしている人たちを講師に呼んでやっていくというようなことをやっているそうです。
 5番目に教科書の内容というのが出ていますが,9年生用のものです。ですから,中学3年生用のものですね。概略を御説明しますと,これは31章という章になります。地方裁判所から始まりまして,参審制度についての説明があります。それから事件というものについては,民事事件,刑事事件といったものがあるということについての説明があって,それから裁判官,検察官といった人々の役割,それから無罪推定の原則のことがちょこっと書かれていて,あとは刑罰の種類ですね。罰金であるとか,懲役であるとか,そういうようなことが書かれています。そして最後の方で,高等裁判所,最高裁判所についての説明があります。最高裁判所というのは,これはEUの関係のものも出てきています。
 これは今きちんと中身をどうこうすることはできないのですが,まず一つ知っていただきたいのは,31章という章です。ずっと章があって,一番最後の方になります。ですからこれ,社会の先生とお話ししたのですが,ここまでは扱えない。ですから,教科書に書いてあるというぐらいの認識でしかなくて,この部分を特に教えようとか,そんなようなことまではちょっと手が回らないのだということを言っておられました。
 先ほどありましたように,カリキュラムそのものは国家教育委員会で決めるのですが,それを実際にやっていくのはもう先生の裁量でかなりの部分が行われるということです。では,その法に関する教育というのが,フィンランドにおいてはどうなっているかというと,7歳から13歳ぐらいまで,つまり小学校段階から中学の頭ぐらいですが,ここでは積極的な市民になってもらう,市民として知っておかなければならない知識を与える。そこにはデモクラシーだとか,人権だとかというものは当然ある。自分の意見を表明するという態度形成をしていただく。ただ,その13歳から15歳,中学校の時代ですけれども,この時代は先ほどありましたように教科書的にはこのぐらいのことが書かれていますが,実際のところは法律について特に扱ってはいないということであります。むしろ歴史の中で,憲法であるとかあるいは裁判制度についてというようなことが扱われるのでしょうけれども,法律の人に聞くと,歴史でやるのだといって,それで実際に歴史でどういうことを教えてますかと聞くと,やってないというような話で,とにかくそこら辺はそんなに対応していないのだなと思います。
 これに反して非常に驚くのは,高校レベルの教科書であります。高校も必修として行われているわけではなくて,選択課目としてとらえられております。そのテキストも確かあったと思いますけれども,そこで扱われているのは,契約であるとか家族,家族法ですね,相続,消費者,不動産,金銭消費貸借,労働,刑事。これ御覧になっていただくとお分かりだと思いますが,非常に身近な,自分が社会に出てすぐ触れ合う法の場所だと思うのですね。こういうものについてコンパクトにまとめられた課目があります。時間数で,年間選択の課目でやるのは28時間ぐらいだというような話がありました。
 これは中身はどういうものかというと,契約ということであると契約書を書くとか,あるいは契約書のひな形を見て,どこにどういうことが書かれているかというようなことを実際に見てもらう。それから,遺産分割協議書とか,そういうものもひな形を見てそれを説明をするということです。必要があれば,その部分についての専門員,例えば消費者問題であれば消費者の相談員の方とか,あるいは不動産の契約であれば不動産会社の人に来てもらって,その手続だとか契約書の意味だとかを説明してもらう。中には法律の実務家に来てもらうこともあるということで,むしろ実際に利用する法を身につけてもらうということです。こうした中では,六法の使い方とかもある程度指導するということでした。
 これは,何でこんな段階になって急にやるのかというと,これもまた学校の先生も自分のお子さんをお持ちで,ちょうど高校を卒業するのだと言ってましたけれども,フィンランドでは高校を卒業するともう親の手を離れて独立するそうです。大学に行くのであるにしても,職業訓練校に行くのであるにしろ家を離れるそうで,そこの段階で家を借りるとか,そういう問題が出てきてしまう。そうすると,子どもたちの関心事として,そういう社会に出て必要となる法については学んでおきたいという関心が強いということです。ですから,この訪ねた学校では,選択科目ではありますけれども,生徒の3分の2が法律を選択しているということでした。また,この段階で法廷傍聴も取り入れて見に行くということもやっているということでした。
 この課目は,1985年とか86年ぐらいから開始された課目ということで,そういう意味で言うと,ある程度もう蓄積されているものだろうと思います。これは私自身の感想ですけれども,どこまでやれるかは別にして,こういったハンドブック的なものを使ってこういうところを調べたらいいよとか,この本を見れば何か書いてあるよというようなものは,日本でも高校3年生が卒業する前にきちんと手渡して使い方ぐらい教えるというのはあってもいいのかというふうに感じました。
 それから今度参審制度ですけれども,フィンランドの参審制度は,行く前も調べようと思いながらよく分からなくて,行ってみて分かったことは,まだ10年なのです。しかしながら,10年だということだったので,ではそれを国民に定着させるにはどうしたのですかというような話をしたら,そうすると実は1200年代からやっていましたというような話も出てきて,その辺の歴史がよく分からないので困ってしまったのですが,実は1200年代のころからいろんな社会の問題あるいは裁判とか,そういうものに市民が入っていく,国民が入っていくということはあったようでありまして,それは10年前以前も地方の裁判所ではそういった形での制度があったようです。ですから,急に作られたものではなくて,もともと根づいているものだということであります。
 それから,先ほどありましたけれども,参審員の協会の会長さんのお話などを聞いても,非常に自信を持っていらっしゃいます。これが陪審がいいのか参審がいいのかの議論になってしまうとあれなのですけれども,少なくとも参審員として関わって任期があってやっているわけですけれども,社会との関わり,あるいは裁判との関わりということが意識されるようになったということは強くおっしゃっていました。この制度には,そういう意味で自信を持っておられるようでありました。
 参審員の教育はどうしているのですかということをお聞きしたのですけれども,義務教育のレベルでは歴史の中で扱えれば扱うのだと。それで,先ほどあった中学の教科書に少し載っています。公立の法律選択科目の中でも,犯罪とかそういう部分では出てくる。それからあと,裁判所あるいは参審員協会の方でも,インターネットを使った広報活動であるとか,そういうような形で定着を図っているということでありました。
 フィンランドはそういう意味で言うと,スウェーデンとはかなり違った,教育制度自体としては裁量があるとかそういうふうな部分では似ているのですが,法に関する教育の部分では少し違ったことが見えてきたような気がいたします。概略,私からの報告はそのようなところであります。

土井座長 両委員には,非常に充実した御報告をありがとうございました。
 それでは,ただいまの御報告を受けて質疑応答,意見交換に入りたいと思います。どなたからでも結構ですので,御意見,御質問があればお願いいたします。

山根委員 日本では,取りあえず大学に行ってそれからその後何をやるか考えればいいのではないかという,そのような風潮があるような気がします。なかなか若者が目的意識を早くに持って学校を選んだり将来の道を選んだりというのが難しいような気がするのですけれども,このスウェーデンとフィンランドというのは,自分は大学に行こうとか早く就職をしようとか,どういう仕事を将来していこうというのは,どのあたりで考えるのかというのに興味があるのですね。先ほどの中で,スウェーデンの高校では,すごく高度な法の勉強をしていると伺ってびっくりしたのですけれども,ということはまた逆に,もっと早く中学ぐらいから法の専門家になりたいというような子が多いのか,そういう子がその学校を選んでいるのかというふうにも思うのですが,そのあたりを教えていただきたいと思います。

江口委員 スウェーデンの高校の見学に行ったときに,私は弁護士になりたいという女生徒と,私は警察官になりたいという男生徒がいました。そして,もうある程度の職業選択をしているわけです。そのためにこの高校に来たのだということを言っていました。これは多分私の感想ではかなり早いときから自立することを求められているためだろうと思います。個人が独立しているというその感覚は,日本なんかよりも強い印象を受けました。だから高校は,逆に自分の意思にある選択がいっぱいあった方がよいと考えるわけです。それから,大学進学率は,そんなに高かったわけではありません。結構専門学校やそういう方向へ行くという生徒も多かったような気がします。必ずしも大学へ進学するわけではないようです。

鈴木委員 僕が一つ思っているのは,スウェーデンにしてもフィンランドにしても,ヨーロッパという単位で物を考えているような気がします。ですから,特に今出たオストゥラ・レアル高校という高校は,多分スウェーデンで何かをするというよりも,その先を見据えているのかなと。ですから,何か専門を持ってその次にステップアップして,ヨーロッパを基盤にして動くというようなことを考えているような気がします。実際授業も,先ほど出ましたけれども,法律と経済というのが中核の課目ですけれども,EUの法とかEU経済とか,そういうようなことがもう出てきていますし,実際国の在り方としても経済活動はもうそのレベルで動いていますので,そういうところを見据えると,やはり早い段階でのそういう進路を考えるのかという気はしました。

唐津委員 説明はなかったのですが,この初等教育の方を見ると,1年~3年のテキストと4年~6年のテキストと二つに分かれているのですけれども,ということですと,これはどう考えればいいのですか。3年間かかってこのデモクラシーのところをちょろちょろと勉強していくという感じなのですか。

江口委員 スウェーデンの学習やカリキュラムは,ヨーロッパやニュージーランド,オーストラリアにあるタイプです。何年間のうちにやればいいという形で,結構学校に裁量を委ねていました。だから,1年間から3年間の中のある学年や時期にやることになります。ひょっとしたら1学年から3学年で全部やっていく学校だってあり得ると思います。これは学校の事情とか教師の裁量,子どもたちの状況なんかを考えて実施されていると思われます。

唐津委員 そうだとすれば,例えば1年から3年の教科書だと,ページ数で言うと10ページもないですよね。

江口委員 社会はその程度ですが,実は歴史の教科書,地理の教科書,宗教の教科書,社会の教科書とあるから,それを足すと日本の教科書よりも多い学習時間があるのではと思いますが。

唐津委員 法の部分というのは,極めて小さなポーションだということ。

江口委員 1年生から3年生の中ではですね。

鈴木委員 ここにあるのはデモクラシーの部分ですから,民主主義の部分ですね。恐らく,僕もちょっと見てみないといけないのですが,例えば人権教育に関しては,先ほどあった子どもの権利から触れさせるということを言っているのですね。ですから,権利関係についてはそこの部分が出てきているのだと思うのですけれども。

唐津委員 そうですか。それから二つ目の質問は,このオストゥラ・レアル高校の位置づけなのですけれども,先ほどスウェーデンでは10校ぐらい同じようなタイプの高校があるという話だったのですが,10校しかないということであれば,スウェーデンの中でも異例な存在なのだろうと思うのですけれども,この高校の教育というのがいわゆる一般的な学校教育の一環としての教育をやっているということで考えればいいのか,あるいは法曹と言いますか,ある専門家を育成するための導入部分の教育のような位置づけなのかということと,それからここで教えていらっしゃる先生というのは,いわゆる一般の教員資格を持った教員の方が教えていらっしゃるのか,それともまた別なタイプの教師が教えていらっしゃるのか,その辺ちょっと教えていただけますか。

鈴木委員 まず言うと,5年前にヨッテボリの高校でこういう法律を扱う高校が生まれた。そして4年前にこのオストゥラ・レアル高校というストックホルムの高校がそういうことを始めた。現在こういったことをやっているのは10校になっている。そういう意味で言うと広がりを見せているということでした。
 やっている内容は,今まで我々の方で議論をしてきた法教育というよりも,むしろ法律を学んで3年間で法学部の1年生ぐらいのものを専門的な部分をやるのだ,そういう意味で言うと専門教育の前倒し的な発想が強いのだろうと思います。法律科という課目に関して言うと,法律と経済の両方を学ぶ。今御質問にあった,では教えているのはどういう人かというと,これは社会の教員です。どこでそういうのは勉強するのですかというと,これは自分たちのそういう意味で言うと自己研鑽,それからもちろんこういう新しい試みですので,相互の情報交換はしているようです。そういう中で,先生たちが身につけてそれで生徒たちに伝えていく。
 それから生徒たちの方ですが,これは高校受験というものはないそうで,むしろ中学校3年間での成績がその後の高校の進路を決めるそうですけれども,この専門高校については10倍ぐらいの志願率がある。それで成績優秀者を採用してくるということのようです。先ほど江口委員が言っていた我々が話を聞いた生徒二人は,女の子の方が弁護士志望だと言っていましたが,お父さんが弁護士ということを言っていました。男性の方は警察官志望だというので,警察官になるのにこういうところに来るって意味がありますか,経済を学んで意味がありますという質問をしたのですけれども,そういう意味で言うと高度な勉強ができて面白いということを言っておりまして,まだまだ特異だとは思いますが,日本がロースクールといって後ろの方に専門家教育を持っていっていますけれども,それとはまた逆の発想で前に倒してきているというような印象は持ちました。

唐津委員 そうすると,ここでの単位というのは,例えば大学の単位として認定されるとか,そういったような整理になっているのですか。

鈴木委員 そこまではなってないようですね。

江口委員 あくまでも,ナショナルカリキュラムの枠内で,選択部分として法律に特化すればいい,そうすると人気があるのではないかということだろうと思います。自主的に選んできたと思います。それが5~6年前から動き始めたという感じです。

丸山部付 1点補足させていただくと,正に日本で言う法曹養成の前倒し的なことをやっているのだろうという印象はすごくありました。ですが,いろいろ話を聞かせてくれた警察官になりたい男子生徒と,弁護士になりたい女性の生徒に,最後に,若いころから法律を学ぶってあなたたちにはどんな意味があると思いますかと,ちょっと相当難しいだろうという質問を投げかけたところ,非常に理想的な答えが返ってきまして,まず弁護士になりたいという女性の方は,これから先確かに法律家になるかどうかは分からないけれども,仮に法律家にならなかったとしても,さまざまな社会的勉強の基礎をここで学んだと思うというふうに女性は言っていて,もう一人男性の方は,自分は例えば週末にアルバイトなんかをしていて,労働契約なんかを結んでいる。こういう法律学校に入って知識を得ていることで,非常に日常生活には役立っていますという,エリート校ならではの答えかもしれませんが,非常に高校生とは思えない答えを聞いてびっくりしたというのが,私の感想です。

土井座長 ほか,いかがでしょうか。

荻原委員 クラスの様子なのですけれども,この写真見ると何か前向いてないクラスがよく出ているのですけれども,どんな感じで授業は,クラスはやっているのですか。日本のように先生の方を向いてやっていたのですか。

江口委員 人数は少ないのですよ。いずれの学校を見ても,20人前後でした。ですから,教師対子どもたちのディスカッションというスタイルが多用できそうな気がしました。

荻原委員 座り方は,こんなのではなくて。

江口委員 そういう学校もありましたし,こういう感じの学校もありましたしというところです。

丸山部付 教室の様子を御覧になると,非常に教室のイメージは分かるかと思いますが。

〔ビデオ上映〕

丸山部付 最初にストックホルム裁判所に見学に行ったところを実際生徒たちが来ていたという話をしましたが,そこの場面です。先生がどの事件を聞きたいかというのを生徒に確認しているところです。
 続いて,そのエリート校のスウェーデンのオストゥラ・レアル高校の教室の様子です。さっき江口委員から御紹介がありましたが,国際法の授業で一問一答を先生としている。だから様子としては,先生を囲むような半円形の机になっている。そんな感じです。
 続いて最後が,フィンランドのヴォサーリ高校での授業ですが,恐らく併設されている中学校での授業かもしれません。宗教の授業をやっているというので,それを見学させていただきました。当日はフィンランド国教であるルーテル教の歴史について講義をしていまして,この後もしかしたら映像が出てくるかもしれませんが,学生がルーテル教会の運営資金を国が強制的に徴収しているという,そういう現行制度がいいか悪いかということをいろいろアンケートをとってプレゼンテーションしたり,そういうような授業をしていました。教室の様子はこんな感じになっています。

〔ビデオ終了〕

土井座長 ほか,いかがでしょう。

高橋委員 フィンランドの高校の選択科目の中で,具体的な実務的な教育をなさっていて,そこで専門家が発表されている。非常に興味があるところなのですけれども,私たちも高校に行って消費者教育に行ったときに,求めるのが子どもたちがではなくて例えば学校の先生であるとか親であるとか,都会に行って被害に遭うからこれだけは教えてくれというような感じなのですけれども,聞くと子どもたちは小さいうちから,このぐらいの年齢になれば社会に出て独立するのだということの意識づけもあって,主体的に自分たちが社会に出ていったときにこういったものが必要だということを自分たちで認識して,こういう選択科目に人気もあるというようなとらえ方でいいのでしょうか。

鈴木委員 基本的にはそういう認識です。ただ,もちろん親が勧めたり周りが勧めたりするのかもしれないですけれども,独立するということが目前に控えているということであれば,必要性を非常に認識して選択をしているのだろう。選択科目でありながら,ほかの課目とらないで3分の2がとるということは,恐らくそうだろうと思います。

土井座長 私もその辺は興味があって,この研究会でも何度か議論になりましたけれども,大人になる場合の責任の問題が話に出てきたと思うのです。では実際振り返って考えてみると,学校教育を初めとして成人になる直前にこれで成人としての責任なのだと,成人が二十歳という非常に中途半端な,学校教育の全体の中から中途半端なところにあるからなのですが,そういうことをやってきているかというと,およそやってきてない部分があって,高校を卒業すれば大学入試があって,大学に入る。大学に入ってしまえば大学生という形になって,あとは社会に出る際に就職というのがあるのですが,どこかで,では成人になるということ,あるいは社会人になるということはどういう責任が発生するのだ,そのためにはどういう点に気をつけてこうしなければならないのだということを全くやってきてないというのは確かだろう。その点で,フィンランドの方ははっきり意識化していて,法というのは一つの責任の所在の明確化だ。それをしっかり教えるということが,自覚を持てということでもあるという教育なのだろうと思うのですね。
 研究会自体は議論の取りかかりとして中学を中心に行って,教材等もその点を検討していただいてはいるのですが,しかし高校の3年生の段階でどういう形でこういう法的なことを教えるかというのは,長期的に見れば重要な検討課題ではないかと思います。その意味では,フィンランドの今日行っていただいた御紹介というのは,非常に示唆に富んだものではないかと思います。
 ほか,いかがでしょうか。

館委員 質問というよりも感想なのですが,今大人になるための高校段階における教育の話が出たのですけれども,ビデオには中学校1年生の生徒が裁判傍聴しているというのですけれども,1年生とはちっとも思えないのですよね。中1の生徒が非常に落ち着いた感じで先生と接している。つまり中学校段階でも,それから高校でもそうですが,先生とのやりとりの様子というのが,一対一のある意味では大人の関係を結びながら自分の考えを述べ合っている感じがします。日本の学校だと黒板に先生が書いて説明して,それをしっかりノートをとる。フィンランドではノートのとり方も,きっとあれは先生の言ったことを単にノートにとるのではなく,自分の考えを整理するために書いているみたいなことを強く感じました。先ほど江口委員が,各人が民主主義について考えること,これがスウェーデンの教育においては大事なものとして考えられているのだということを言われていたのですけれども,その辺が本当に実際の場面で,学校という場面でも社会と同じような関係性を作り上げる訓練がなされているというか,自然になされているということをつくづく感じました。日本の学校では,先生が旗振りしながら作り上げていくような要素が非常に強く,さっき言いましたように先生が話したことをノートにとったり,板書されたことをノートに写すというような要素が強いということを感想として持ちました。

土井座長 今の点,いかがでしょうか。

荻原委員 感想なのですけれども,ちょうどうちの息子が今日現代社会の中間テストで昨日勉強していたので,それを端で見ていたら,ノートに赤く書いたり緑で書いたり,それを声に出して言葉を一生懸命覚えてるのですよね。でも,この教科書を見ると太字がないのですよね。覚える教科書じゃないなというので,今おっしゃっていたように,やはり目指すところが-今の日本の現代社会はいろんな言葉を覚えて,知識としてどのぐらい詰め込めるかというテストをされるので,それを覚えることに精いっぱいで,こういう考えたりというところまでいかないから,授業参観に行っても先生がプリントを配ってくださっているのですけれども,そこの括弧のところに一生懸命書き込むという作業をしているのを見ると,やはり目指す目標,スウェーデンの場合目標を掲げるというのがありますけれども,この目標の部分が多分北欧と日本と大きく違っているのかという気がしますね。

土井座長 北欧の場合もそうですしアメリカの場合でもそうだと思うのですけれども,あなたの意見を言いなさいというのは,やはり非常に強い傾向があるのですね。私がアメリカにいたときに印象深かったのは,親が子どもに対してフルネームで呼ぶというときがあるのです。そのときは,はっきり個人として扱っていて,フルネームで呼んで自分の子どもに,例えば私の名前で言うと土井真一,あなたとしてどう思うのかというのは,かなり厳しい態度で接しているときなのですね。日本では余りなくて,自分の子どもをフルネームで呼んで一人の人間として取り扱って,おまえはどう思うというようなことはほぼしないのですが,子どもに対しても親はそういう立場で臨みますので,その雰囲気の延長線上に学校でもやはりフルネームで呼ぶというのは,はっきり人として扱っているというところを,その土台があるので,やはり意見についても何でもいいから,とりあえずでは自分の意見をきちっと言うというトレーニングは受けているのが特徴だろうと思うのです。
 逆に日本で外国人の留学生なんかを受け入れて大学で授業するときがあるのですが,講義をするとものすごく不満が出るのです。どうして自分の意見を言わせてくれないか。90分なら90分英語でやったりするのですけれども,英語でしゃべり続けると,明らかに途中からストレスが出てきて,手を挙げて自分の意見を言わせろという状態で,これは日本とは全く逆でして,日本人に途中で当て出すと,非常に今度は逆にクレームが出てきて,先生,どうして当てるのだみたいな話になるのですが,ヨーロッパから来ている留学生たちは明らかにそういうところがあって,自分はこう思うのだ,それをどう受けとめてくれるのだというのがあって,それをしないというのは結局教育の場ではないではないかという雰囲気が非常にあるのですね。
 その意味では非常に主体性が確立しておるわけで,その辺の意識と法とか権利だとかというものに対する意識というのは,非常にマッチする状態があるのだろう。日本の場合は,法教育を,権利だとか法の内容を一方的に教授して御託宣のように学ぶということになると,それが果たしていいことなのかという問題が結局出てくるわけで,その辺が法教育の方法論で以前から出てくるところだろう。やはりスウェーデン,フィンランドというところでもこういう方法をとっていらっしゃるということになった場合に,日本で今後今教材とか作成していただいているわけですが,参考にしていただいて,どういうものが考えられるかというのを検討していただくとよいのではないかと思いますが。

大塲参事官 視察された両委員にちょっとお聞きしたいのですけれども,恐らくスウェーデンとフィンランドでは,日本で今こういった研究会でこういった角度で議論をしていますということをお話したと思いますが,それに対して向こうの教育省や学校庁の人,あるいは学校の先生や裁判所の人たちというのは,どういうふうな感想を漏らされているのか。日本から,こういう研究会があって見に来ましたとなれば,向こうも日本の人たちがやっていることについての関心を示すのではないかと思うのですが,どういう感想を漏らされていたか,もしありましたら御紹介いただければと思うのですが。

江口委員 今の質問に対して,僕はちょっと向こうのフィンランドで失礼なことを言いました。こんなに自由度の高い教育だったら,ばらんばらんになるんじゃないのという,そういう質問を向こうの教育の担当者に言ったら,日本は日本,フィンランドはフィンランド,我々は我々の教育をやるし,例えば「スウェーデンはスウェーデンの教育がある。スウェーデンでこうやっているのだからと言っても,フィンランドで同じようにはならない。」と,彼らの教育観としては自分たちの教育への自負心は高いと感じました。ただし,先ほど丸山部付が言ったように参審制とか陪審員とか裁判員というのは,どういう形で子どもたちに伝えるのかという興味は少し持っていらっしゃるみたいです。それは学校教育という場なのか,あるいはもっと違う方法でやるのかというのは,少し考えていらっしゃるのかというか,そういうことに興味があるのかということは感じました。。そんな感じで,日本の教育そのものには余り興味ないといえばないのかなあという感じがしました。

鈴木委員 それよりも,むしろ今やっていらっしゃることについて,それぞれの立場の人がみんな自信を持っているのですね。例えばスウェーデンで学年を追ってやっているということについて,そのカリキュラムを作っている人たちは自信を持っていますし,それによって実際に授業をやっている先生に話を聞くと,日本の学校の現場の先生に話を聞いたら,文部科学省に行ってくれというのか教育委員会に行ってくれというのか,そういう話になろうかと思うような話を,自分はどうやっているということを非常に積極的に話をしてくださる。これはフィンランドも同じようで,自分たちは逆に言うと,義務教育レベルではそんなにやってないのだ,法に関するというのは余りやってないですよ。だけど僕らは,とにかく歴史が大事なのだ。もうそこは自信を持って言うし,逆に必要となる法については高校の段階でこういうレベルでやります。それでとりあえずやっているのだというのを強くおっしゃる。そこにまた江口委員がおっしゃったように,自分の国,ほかとは違う,それでもいいのだよというようなこともあって。ただ,やはり教育の裁量が現場にかなり下りているということで,それぞれの先生が主体的に考えて授業を組み立てているので,本当に自信を持ってやっていらっしゃるという感じは受けましたね。

土井座長 恐らく法教育の問題が民主主義との兼ね合いで議論されていることからも推察されるのですけれども,普遍的な民主主義を想定しているのではなくて,やはり国民主権なのですね。だから,一国の国民が自分たちで法の内容を決めるべきである,あるいはその教育の内容も決めるべきであるという意識が非常に強いのですね。だから,法の在り方については,その国内できちっと議論すればいいのであって,そこで了解されてきたものが法の内容になり教育の内容になるのだという形で法と民主主義が連なっていきますと,諸外国がどうなっているのかということ自体は一参考資料であったとしても,どこでこうなっているから,では導入しましょうという議論には通常はなかなかなりにくくて,その辺が特にフィンランドとかスウェーデン,歴史の問題がやはりありますし,ヨーロッパ全体としてアメリカン・グローバリズムに対して批判的なところもかなりありますから,各国の独自性という意識も多分にあるものですから,やはり他国,特に教育なんかの場合は他国の在り方についてそれを真似して導入するという意識が恐らくないでしょうね。それはアメリカなんかでもそういうところがありますし,各国やはり自分たちのアイデンティティの問題だというところがあるものですから,自分たちできちっと議論をして,それでやっている部分については,自分たちにおいて誇りを持つという考え方が基本的にあるのではないかとは思います。

丸山部付 法教育の言葉自体がやや多義的で,それを向こうで訳して正確に理解していただいていたかなというちょっと疑問もあります。そういう意味では,我々の説明も舌足らずだったのかもしれません。もちろん法教育などと言ってもなかなか通じないので,法及び司法に関する教育をどういうふうにやっていますかというと,こういう感じでやっていますといっていろいろ教えてくれるのですが,その中に民主主義とか人権とかは,最初説明の中に入ってこないわけです。日本だと,憲法のところで教えられ,当然憲法も法教育の一環だということなので,法教育ということでお話ししているのですが,例えばスウェーデンなどでは,日本の憲法にあたるものはなくて,四つの基本法で構成されるものが国の基本法という扱いだそうなので,日本みたいに憲法の条文がばっと教科書に載っていたりそういうことはないものですから,法教育が大事だと思って日本でやっているのですという,その意味の法教育と,あちらでやられている民主主義とか人権の教育がストレートに担当者の方と頭の中で結びつかなくて,それはすばらしいことですねとかいう話には特にはなっていないのかというところもあります。

江口委員 何で憲法をやらなければいけないの,教えなければいけないのと通訳の方に言われて,僕もきょとんとしてえーっと思ったけど,憲法の原理原則は教えている。でも憲法の条文の一つひとつはほとんど扱ってないということでした。フィンランドもやっているという場面が余り資料から見えないから,多分余りやってないような気がします。

鈴木委員 基本的にはどちらの国も歴史の中で出てくるということのようですね。

土井座長 イギリスは基本的にそうですね。イギリスのコンスティテューションはもう歴史そのものですから,歴史的にどういうことが生じてきたかの積み重ねを教えておれば,はっきりコンスティテューションを教えているという形態をとれる。日本はやや,その憲法が理想という側面がかなり強いものですから,歴史の中になかなかそれを適応する事実を見出しにくいという状態があって,憲法は別途教えないといけないものですけれども,多くの立憲主義諸国はその憲法を獲得するための歴史そのものが既に憲法教育だということになっているものですから。

鈴木委員 条文を教えないのですかと言うと,何でそんな難しいことやらなければいけないのですかという話になってしまうのですよね。

荻原委員 今中学生は憲法の条文を一生懸命暗記させられるのですけれども,あれは余り意味がないのですかね。ちょっと原点に戻って,あの無駄な努力を考えてほしいななんて。一つひとつの言葉を覚えましたけれども。

鈴木委員 それはそれぞれあると思いますけれども。

江口委員 アメリカの場合には,法教育と憲法教育との関係は密接です。教材の中に憲法の条文も出てきます。やはり憲法の在り方とか憲法に対する国の関係みたいなのがあって,それぞれの国によって違っているから,どっちがいいのかというのは分からないけれども,でも憲法を教えた方がいいのではないでしょうかという気はします。

土井座長 憲法の条文によるのですね。日本国憲法の場合でもそうなのですけれども,人権のような基本的な内容のところ,あるいは国民主権を取り扱っているような内容のところというのは,条文そのものというよりは,その基本的な考え方を理解しておく必要がある。ところが後半の方になってきて財政があって,決算の報告とか会計検査院がどうのこうのという条文があるのですけれども,これを中学生に一生懸命覚えさせないといけないかというと,いや,その必要はないかもしれない。大人になったときの常識として会計検査院があるのだということぐらいは知っておく必要があるのでしょうけれども。ただ,やはり条文をドンと見せると,そこのところは平坦に並んでいるものですから,ではそれを全部覚えさせないといけないかという議論がやはりあって,だからアメリカの場合でも,アメリカの憲法は,なかなか非常に細かな条文もあるのです。特に連邦制をとっていますので,連邦の権限が何かというのは非常に精緻に決まっているのですね。それを精緻にやっているかというと,そんなことは全然やってなくて,やはり人権の基本的な考え方とか民主主義とは何かというようなところをやっているので,憲法教育でもそういう形になれば,それは基本のベースを教えるということなのですが,どうしても暗記中心になってくるとテストの選抜力を高めるために細かなことを聞くというのは,どうしても試験の技術的な問題があって,そうすると非常に細かな用語を知っていますかという形で,点数に差を開かせる。それはいいことかというと,決していいことではない。それは確かに御指摘のとおりだろうと思います。
 ほかにいかがでしょうか。

大杉委員 荻原委員が言われましたように,現代社会も新しいものは自分がレポートして調査して,それで自分の結論を出してみんなにプレゼンするというようなものを今新しい教育課程では求めていますし,憲法も条文を暗記するということではなくて,基本的な考え方を中心にというふうには一応なっているのですけれども,必要なところで土井座長が言われたように条文の最初のあたりのところは基本的な枠組みなので,そこをしっかり勉強するために出てくるのかもしれませんけれども。
 それを一言言わせていただいて,あと最後に,教科書を見せていただいて,訳せないのですけれども,1年~3年のところはおもしろいなと思って,これは多分法律を発令した絵があって,ブーイングのブーと言っていますから,おれたちは反対だというふうにして,追い出されて,その後これはローマの共和制のような感じがするのですけれども,ここで議論して新しい法律ができてしまったのかなというふうに,1年生から3年生の間でやっているのですけれども,これは日本と逆で,日本はどちらかというと,あえてこういう実際の場面を取り上げずに,例えばゲームをどうやってしようかとか,スポーツでも三角ベース,ボールをどういうルールでやろうかとか,そういう余り直接関連させずにやった後で,中学校に入って,実は今までやったことはこういう政治の仕組みではこういうことなのだよという意味を与えてあげるという配慮のもとに授業をやっていたと思うのですけれども,これはどちらかというと逆で,スウェーデンの場合は1年~3年の場合はストレートにこういう政治あるいは法律ができるところで,民主主義と政治あるいは法律を結びつけて,その後先生に持ってきていただいている7年生の教科書では,逆にスポーツのルールというふうにおっしゃられたと思うのですね。これはスウェーデンのそういった法に関連する教育というのは,逆に最初にきちっとした枠組みを与えて,実は我々の日常生活でもこんなものがあるよというのを後ろの学年で学習させるというスタイルをとっているのか。ちょっと日本と逆なので,教材づくりや指導の在り方について,幾つかやり方はあると思いますけれども,どういうふうにスウェーデンは考えているのか,もし分かれば教えていただきたいのですが。

江口委員 小学校のを見ても,僕も直感的に面白いと思いました。日本の社会科にない部分だと。これを生かせば何か形ができるかとは思いました。いかんせんその内容がよく分かりませんので,その程度でした。

大杉委員 実は中学校の社会科の公民的分野,古くからありますけれども,歴史を見ると内容の組み立て方が,最初に憲法や政治の基本原理をやった後で徐々にその具体的な内容をして,最後に家庭生活についてという構成の仕方から,今は逆に身近なものをやって,最後にそれらはどういう意味があるかということを考えさせるために枠組みとしての憲法とか,いろんな概念を学習するという構成になっているのですね。演繹的か帰納的にやるかということだと思うのですけれども,こういった幾つかの指導の在り方というものをみんなで考えれば,法教育の指導の側面からいくといいのかという気がしているのです。

土井座長 日本人にはなかなか分からないところなのですけれども,ヨーロッパの人たちにとってのギリシャ,ローマというのはやはり特別なのですね。ギリシャで起きた歴史やらローマで起きた歴史というもの,一般階層はどうなのか,インテリ階層がどうなのかというのは精緻にやれば問題があるのですけれども,それ自体がやはりある種の法であったり政治に関する一つの理解を育む歴史なのですね。これはギリシャのアテネの話で,そのギリシャのアテネで起きたこと,典型的に言えばソクラテスの死の問題というのは,民主制の問題の源流でもあるし法の問題の源流でもあるし,哲学の問題の源流でもある。ローマにおいて法が一部の特権階級だけしか知らないものであったのを,12表法とかいうあれで,やはり市民にも分かるような法でなければ裁かれる側が分からないじゃないかという運動を起こしたという,ああいうことを教えるということ自体が,もう既にしっかり法を教えているということがあって,先ほども申し上げましたけれども,ある歴史のプロセスを教えておれば,しっかり法だとか政治の在り方について教えられるという歴史を持っている国の強みが典型的にあるのですね。その日本の場合の歴史の教え方,日本国憲法は戦後のものですから,戦後の歴史の教え方の,どういう過程をどういう形に整除して教えるかというのが恐らくあって,そこのところが小学校なんかで,やはり歴史的にストーリーとして教えるというのは非常に面白いところがあるので,そういうものが影響しているのだろうという気はします。
 アメリカの場合でもやはりそうで,独立革命を教えていくとか南北戦争を教えていくということ自体が,法の在り方,憲法の在り方そのものを教えていますので,そこに人物が出てきて,ちょうど日本人でも織田信長が出てきたり徳川家康が出てくると非常に目をきらきらしながら面白いと思う感覚のところに,ジェファーソンだとかマディソンだとかという人物が出てきて,いかに独立を達成していったかという話をすると,子どもはストーリーとして聞くのですね。そういうストーリーがうまく使われているということだろうと思います。
 内容的には,国際法に関する質問なんか先ほど江口委員の方から御紹介があったのですが,私の知る限り,これは多分日本でもほぼ同じことが教科書には載っているはずなのですね。EUの部分はないです。ヨーロッパ人権条約の部分についてはないですが,安全保障理事会の問題だとか,多分これは政治経済にはきちっと載っているもので,教えているはずの内容なのですが,その教え方が先ほどのビデオなんかとは全然違って,覚えなさい,覚えなさいで多分こなしている部分で,だから習っていても何年かたつと習ったことすら忘れてしまうという話になっているのではないかという気がします。

鈴木委員 先ほどの見ていただいて分かるのですけれども,生徒がどんどん手を挙げていますよね。非常に下調べをしてきていまして,僕は目の前の女の子を見ていたのですけれども,ノートにびっしり書いてあるのですね。だからもう発表したくてしようがないのですよ。何か先生が質問したら,パッとみんな手が挙がって,それで答える。何か答えがちょっとずれているということになると,ほかの子はまた手を上げてそこを直すとか,時には議論が始まったりと。非常に活発な授業が展開されていたなと思いました。

土井座長 特に思うのですけれども,予習教材にどれだけ力を入れるかという問題なのですね。授業で全部教えるとか授業そのものをうまくやるとか,授業そのものに使う資料をどうするかという問題と,事前にどういう形で課題を与えておいて調べさせておくかという問題があって,今までに日本の教育は授業そのものを舞台にしているものですから,授業そのものをどううまくさせるか,その場でという話なのですね。確かに自分も今は教える側だから何なのですけれども,教えられる側からしたときには,突然その日にある問題を与えられてすぐ答えろと言われたら,難しいのですね。予想されない問題があるわけで。そうすると,その場でやはりああいう形で問答形式が成立するという前提は,事前に予習課題がはっきりしていて,何をやるのだ。そのために事前に下調べをしておきなさい,意見を聞きますからねというのがあるから問答が成り立つので,あれはその場で直接やっているわけではないのですよ。だから,結構やはり予習重視なのですね。
 そういう教育へのシフトができるかどうかというのは,初等,中等教育の在り方全体に関わる問題で,日本の教育は基本的に授業で初めから内容をすべて分かりやすく教えて理解させる。その中で,それに関連する質問をするわけで,そうすると質問ありますかと言われても,今習ったばかりでという話になって,分からないところは分からない。それは裁判全体でもそうで,突然何の準備もないのにいきなりそれこそ意見を言わされて質問を始めても分かりようがないというのと同じ問題で,その辺をこういうふうに,こういう形での教育を導入するということになれば,準備をさせる点をどう整理するかというのは大きな問題になるのではないかなと思うのですね。復習の方は,もう本人がそれを踏まえて発展的にやる能力をつけさせるかどうかという問題になりますので,その辺教材を考える際にも,どういうスタンスでやるかというのはなかなか難しい問題があるかもしれません。

荻原委員 フィンランドの不動産の契約書の見方なんていうのは,すぐに東京の大学に来ても必要なもので,大体そこでだまされて経年劣化の部分まで借家人が払うことになってしまったりするのですけれども,あれはやっておくべきだとか思うのですけれども,やはりそういう実際に具体的な契約書とかそういうのと同時に,それと発展して置き教材というのですか,六法全書を置いておくとか何か。六法全書なんて,家に余りないものなので,突然見ようと思ってもどうやってあけていいか分からないのですけれども,そういうのを学校に置いておいて,ここの部分は借家人を守るこういう法律があってとかというときに,六法全書のあけ方からやっておいてもらうと,後々人から騙されたときとか何かのときにあけてみようかなという気持ちになるかと思ったのです。本当にいいヒントがあったと思います。是非教材を作るときに,そういうのを生かして。

土井座長 どうもありがとうございます。教材の話になりましたので,いろいろ御意見あろうかと思いますが,次の教材の問題の方に移らせていただきたいと思います。
 先般,法教育研究会教材作成部会の立ち上げを御報告させていただきました。それとともに,参加していただける学校の先生方についても御紹介申し上げたところですが,前回の法教育研究会終了後,教材作成部会の全体会を開催いたしまして,一定の方針について合意がなされましたので,その内容について江口委員から御報告いただきたいと思います。

江口委員 全体会議では,教材作成部会の各自の自己紹介,ほとんどは中学校の先生で,大学の先生方が一部入っておりまして,中学校の先生方からの要望もありまして,法教育の理念あるいは法教育についての基本的な考え方を教えてください,あるいはちょっとレクチャーしてほしいという要望もありましたので,土井座長の方から法教育,今言われたような憲法との関係とか政治との関係とか,日常的なものとの関係という,そういうことを先生の方から,まず話されました。四つの教材をこれから分かれてやります。数回程度やって,最後はお互いが関連したような法教育モデルをそこから見つけていきたい,あるいはそういう方向で作り上げていきたいと考えています。ただし,一つひとつのテーマ,例えばルールならルール,それから裁判所なら裁判所でも,個別に使ってもいいような形での教材として位置づけることも工夫してみたいと思います。全部やらないと分からないとなると,そういう時間数は多分とれませんので,最低例えば数時間でもやれるような教材の開発をするということも考えているわけです。
 それから教材も,ベースの部分とさっきの発展的な部分のように,ちょっと頑張ればこういう,それこそさっきの借家法とか,あんなのだってちょっと頑張ればここまで分かるよというような,そんなところも工夫してみたらどうだろうかということになりました。それから,基本的には現行の学習指導要領の枠内で利用できるような教材として持っていく。これは持っていかざるを得ないと思いますし,持っていくようにやってみたい。
 それから,今後法的な問題のところでは,是非,法的助言グループ及び文部科学省の今後の積極的な関与をお願いしたい。大杉委員にも改めてお願いしたいと思っています。
 今後の日程については,これは実は4つの班が同時進行で,例えば今日は3つぐらいの班,教材作成グループが同時に動きます。この後4時半,5時ぐらいからありますので,今,何日何日という日程表は挙げられません。4回から5,6回,一番多いところで6回ぐらいまで想定しているところです。6回ぐらいまでの間に教材のモデルを作る。できるだけ早いうちに教材イメージを示し,それを模擬授業にかけるという手順を踏みたいと思っております。
 それから,各担当者からは,主担当を一応設けましたので,その主担当の方からこういう形で教材を作ろうというちょっとした説明がありました。その説明をもとに,今後は3人の先生方あるいは助言者のグループの先生方が関わりながら,教材を形に持っていくということになろうかと思います。
 予定としては,6月9日に第2回の方針立案会議に,それまでできたものについて各主担当から報告いただいて,全体像を考えてみる,チェックしてみるということだろうと思います。現時点ではそれぞれのグループでそれぞれに程度の差があると思いますけれども,少なくとも類似の資料の収集や学習指導要領の中での位置づけ方みたいなものは少し検討をお願いしています。それから,幾つかの案を同時進行で練りつつ,一つの教材に持っていくだろうと思います。
 こういう流れを今後随時説明していきますけれども,やはり教材が見えた方が説明しやすいと思われます。私も是非説明してくださいと言われても今やっていますということしか言えなくて,4つの会議全部見えませんし,当然まだ始まって1回,2回目ですので,報告としては,もうちょっとお待ちくださいということでしょうか。

土井座長 どうもありがとうございます。今の点で何か御質問等ございますか。よろしいでしょうか。それでは予定した時間となりましたので,本日はこの程度とさせていただきたいと思います。
 次回は来月18日(金)午後2時から,法務省20階の第一会議室での開催を予定しております。次回のテーマは,今回に引き続きまして諸外国の法教育を検討したいと思います。本年初頭にアメリカに行かれた沖野委員が,法教育についても関連する場所等について訪ねられたということですので,沖野委員の方からアメリカの法教育について御報告をいただきます。それと東京大学の大村敦志教授をお招きしまして,フランスの市民教育についてお話をお伺いする予定になっております。
 それでは,本日の議事はここまでにしたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

午後4時05分 閉会