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人権擁護委員の制度について~人権擁護委員とは?~

令和3年5月18日

1.人権擁護委員とは?

 人権擁護委員は、人権擁護委員法に基づいて、人権相談を受けたり人権の考えを広めたりする活動をしている民間の方々です。

 人権擁護委員制度は、様々な分野の人たちが人権思想を広め、地域の中で人権が侵害されないように配慮して人権を擁護していくことが望ましいという考えから設けられたもので、諸外国に例を見ない制度として発足しました。
 人権擁護委員は無報酬ですが、現在、約14,000人が法務大臣から委嘱され、全国の各市町村(東京都においては区を含む。以下同じ。)に配置されて、積極的な人権擁護活動を行っています。


人権擁護委員の説明図

人権擁護委員は、たとえばこんな方々です。



人権擁護委員は左図のように様々な経歴の方がいます。他にも、例えば次のような方がいます。

 

・民間会社の元技術者や元営業職の方

・工場主や喫茶店経営など地元自営業の方

・元新聞社員、元アナウンサーなど報道関係の方

・医師、看護師、臨床心理士など医療関係の方

・元市役所職員、元警察官など元公務員の方

・弁護士、司法書士、測量士など士業の方


2.人権擁護委員の委嘱の流れ

 法務大臣が人権擁護委員を委嘱するに当たっては、まず、市町村長が人権擁護委員にふさわしい地域の候補者(人格識見が高く、広く社会の実情に通じ、人権擁護について深い理解のある人)を選び、議会の意見を聞いた上で法務局(地方法務局)へ推薦します(人権擁護委員法第6条第3項)。
 そして、法務局(地方法務局)において弁護士会及び人権擁護委員連合会に意見を求めて検討した後、法務大臣が委嘱します(人権擁護委員法第6条第2項)。


委嘱の手続き図

3.人権擁護委員のき章


人権擁護委員のき章

人権擁護委員に委嘱されると、き章が交付されます。

人権擁護委員は、き章を襟に付けて活動します。

 現在の人権擁護委員のき章は、昭和39年に公募によりデザインが募集され、昭和40年に制定されました。


かたばみ

 外枠に「かたばみ」の葉をあしらい、中に菊型の「人」の文字を配したデザインとなっています。

 「かたばみ」は地を這って広がっていく根強い植物であることから、人権思想が広がっていくようにとの願いが込められています。


人権啓発活動用バッチ

 また、人権啓発活動を行う際には、人権イメージキャラクター「人KENまもる君・人KENあゆみちゃん」バッチを着用することもあります。

4.人権擁護委員の証票


人権擁護委員の証票

  人権擁護委員は、その職務を行う際には人権擁護委員の証票(いわゆる身分証明書)を携帯し、関係者から要求があった場合には、これを示さなければならないことになっています。

※ 左の画像の人権イメージキャラクター「人KENまもる君」の部分には、委員の顔写真が貼り付けられます。


5.人権擁護委員の歴史

(1)人権擁護委員の歴史

1.法務省人権擁護局の設置

 昭和22年5月3日に施行された日本国憲法は、基本的人権の保障を基本原理の一つとして掲げました。そして、政府自らがこれを実現するため、昭和23年2月15日に法務庁設置法が施行された際、アメリカの例に倣い、人権擁護の事務を担当する国家機関として、法務庁内に人権擁護局が設置されました。

 昭和24年6月1日、法務庁設置法の一部を改正する法律が施行され、法務庁は法務府に変わり、これと時を同じくして、法務府組織規程が施行され、法務府人権擁護局第一課の事務に「人権擁護委員に関する事項」が加わりました。

 ついで昭和27年8月1日、法務府設置法等の一部を改正する法律が施行され、法務府は法務省となり、人権擁護局は法務省の7局のうちの1つとなりました。

 しかしながら、創設当時の人権擁護局はわずかな職員しかおらず、人権擁護活動には困難を極める状況でした。


 

2.人権擁護委員制度の発足

当時の人権擁護局は、地方にその出先機関を持っていませんでした。

 人権問題は全国各地で発生するものですので、局の仕事を補助する機関がなくては効果的な活動を期待することができません。

 また、もともと基本的人権は、日本国憲法によれば国民の不断の努力によってこれを保持しなければならないのですから、政府機関が積極的にこれを擁護するのは当然ながら、国民一人一人の努力や民間人の協力を得た上、官民一体となってその擁護、伸長を図るということが必要です。

 こうして今日の人権擁護委員制度は、政府を一方の車輪、民間人を他方の車輪として、互いにその長所を生かし、短所を補う両輪をつくるという着想により、昭和23年7月17日に公布・施行された人権擁護委員令によって、法務総裁の補助機関として誕生しました。

 人権擁護委員制度発足当時の人権擁護委員令では、人権擁護委員の定数は150人でしたが、現実に委嘱された人権擁護委員の数は、昭和23年12月末日現在67名、昭和24年5月末日現在で92名に過ぎませんでした。また、当時の人権擁護委員は、そのほとんどが弁護士でした。

 特筆すべきは、我が国の人権擁護委員制度は、我が国独自の制度として誕生したということです。人権擁護委員制度は、外国の制度を参考にして作られたものではなく、アメリカはもちろん、世界のいずれの国にも存在しない、世界に比類のない独特の制度としてスタートしたのです。

 


3.人権擁護委員制度の推移

 昭和24年6月1日、人権擁護委員の数を増やし、恒久的な制度とするため、人権擁護委員令の廃止とともに人権擁護委員法が施行され、機構その他の充実、整備が図られました。これにより、人権擁護委員は、人権擁護局の事務を補助するだけにとどまらず、独立して人権侵犯事件の調査、救済のため適切な処置がとれるようになりました。また、人権擁護委員の定数が一躍2万人以内まで拡充されたとともに、人権擁護委員協議会及び同連合会が設けられ、その任務が明確にされるなど、現在の人権擁護委員制度が確立したのです。

昭和28年7月22日、人権擁護委員法の2回目の改正が行われ、倍数推薦制(従来は、市町村長は人権擁護委員の定数の倍数の者を推薦しなければならないとされていました。)を廃止し、任期を2年から3年に延長し、人権擁護委員協議会連合会を人権擁護委員連合会と改称し、さらに全国人権擁護委員連合会が組織されました。

 現在の人権擁護委員の主な任務は、人権思想の普及と人権侵犯事件の調査以外に、人権相談を受けることがありますが、昭和24年2月26日、東京銀座の三越デパートで開かれた人権相談所が今日の特設相談所の基礎となったといわれています。その後、昭和24年5月3日の憲法記念日から全国的に人権相談が行われるようになり、現在においても、地域住民の足の運びやすい場所として全国各地のデパートや公民館、市町村役場などにおいて特設相談所を開設しています。

 人権問題の特徴としては、戦後の混乱期には特別公務員による人権侵犯事件が代表として挙げられ、以降、高度経済成長の社会情勢の中で、公害、交通事故、プライバシー問題、労働問題、医療問題など、その解決に向けて高度の専門的知識を必要とするものが多くなってきました。これを受け、人権擁護委員には弁護士だけでなく、地域の実情に明るい地域住民や各分野の専門家など様々な経歴の方に委員としての任を受けていただいています。
 現在、人権相談の年間取扱件数は
20万件を超え、国民の権利意識の向上、社会生活の複雑化、価値観の多様化などを反映して相談内容は多岐に渡りますが、そのうちの半数以上が人権擁護委員によって行われています。相談の内容によっては専門家による助言が必要な場合もあるでしょう。あるいは人生の先輩からのアドバイスによって道が開けることもあるかもしれません。全国約14,000人の人権擁護委員の中に、必ず皆さんの悩みを解決できる人権擁護委員がいるはずです。日々の生活の中で悩み事が生じ、どこに相談すればよいか迷ったら、まずは人権擁護委員を頼ってみませんか。



(2)人権擁護委員の日

 人権擁護委員が組織する全国人権擁護委員連合会では、人権擁護委員法が施行された6月1日を「人権擁護委員の日」と定め、人権擁護委員が国民の皆さんの相談に応じる存在として各市町村に配置されていることを伝えるとともに、人権尊重の大切さを呼びかける日としています。
 昭和57年から全国一斉「人権擁護委員の日」特設人権相談所開設事業を実施しており、毎年6月1日前後に、全国各地の公共施設、デパートなどにおいて特設相談所を開設しています。


  • 【ポスター】人権擁護委員

  • 「人権擁護委員の日」の活動