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フィリピン

(1) 背景

フィリピンでは,ホセ・マリア・シソンら親中派が,1968年12月,「フィリピン共産党」(CPP)の設立を宣言するとともに,1969年3月,その軍事部門である「新人民軍」(NPA)を設立した。NPAは,農民や労働組合員,カトリック教会関係者,摘発を逃れた反体制活動家の一部等を取り込むなどして勢力を拡大させた(注11)。NPAは,1986年当時,戦闘員数を2万5,000人にまで増大していたとされるが,同年,「ピープル・パワー」と呼ばれる政権交代劇を経て発足したコラソン・アキノ政権下で,穏健派の離反や海外からの支援縮小を受けて勢力を減少させ,さらに,1992年以降,ラモス政権下で,国軍によるNPAの拠点奪還,内部対立の激化等により,6,000人程度にまで勢力を減退させたとされる。NPAはその後,国内の経済状況の悪化や反政権運動の活発化を背景に,2000年頃には勢力を1万人以上に増加させたものの,国軍の掃討作戦で弱体化し,2010年には4,665人程度に,2018年には3,713人程度に勢力を減少させた。こうした中,政府との和平交渉が断続的に実施され,2016年6月に発足したドゥテルテ現政権も,和平交渉を同年8月に再開したものの,2017年2月に衝突が再発し,同大統領は同年11月から12月にかけて,和平交渉の正式な打切りに加え,CPP及びNPAに対するテロ組織指定を宣言した。一方,フィリピン南部のうちミンダナオ地方西部では,イスラム教徒を含む先住の民族(モロ族)(注12)による政府への抵抗運動を背景として,1960年代後半に分離主義運動が活発化した。1968年頃,フィリピン大学講師のヌル・ミスアリやイスラム知識人サラマト・ハシムらを中心に設立された「モロ民族解放戦線」(MNLF)は,1972年以降,フィリピン南部における独立国家の建設を標ぼうし,国軍に対する武力攻撃を実行した。1976年,政府との停戦協定(「トリポリ協定」)に合意したが,同協定に規定された自治権付与の手続等をめぐって政府と対立し,衝突を繰り返した。また,ハシムらは,飽くまでもフィリピン南部におけるイスラム国家の設立を掲げてMNLFを離反し,1977年,「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)を設立し,武装闘争を継続したほか,MNLFに所属していたアブドゥラジャク・ジャンジャラニは,アフガニスタンでの戦闘経験を経て,1991年,フィリピン南部からイスラム国家を拡大させることを掲げて「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)を設立し,キリスト教施設や関係者へのテロを繰り返した(注13)。その後,政府とMNLFは,1993年に暫定停戦協定に合意するとともに,1996年には最終和平協定(「ジャカルタ協定」)に調印し,ミスアリがムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)知事に就任した(注14)。また,MILFも,ハシムが死亡(2003年7月)した後,議長に就任したムラド・イブラヒムの下,政府との和平路線を採り,2012年10月,政府との間で「バンサモロ枠組み合意」に達した上,2014年3月には,バンサモロ自治政府の設立等を柱とする「バンサモロ包括和平合意」に調印した。2018年7月にはバンサモロ基本法(BOL)が成立し,同法に基づき,2019年2月,ARMM及び一部の周辺自治体から成る新たな自治地域である「バンサモロ・ムスリム・ミンダナオ自治地域」(BARMM)が発足し,ムラド・イブラヒム(アホッド・エブラヒム)議長を首相とする暫定自治政府(BTA)が設立された。2022年中にバンサモロ自治政府の発足が予定されていたものの,新型コロナウイルスの影響により移行過程が後退しているとして,BARMM議会は政府に対して移行期間3年の延長を要望している。マギンダナオ州を中心に活動するMILF内の強硬派の一部は,自治地域設立に対して飽くまでも独立を主張して2010年に組織を離脱し,「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)を設立して国軍に対する襲撃等を継続した。BIFFは,BOLの成立に対しても反発し,同組織主流派の広報担当アブ・ミスリ・ママは,2018年6月,「我々は(バンサモロの)独立のために戦い続ける」と公言した(注15)。また,南ラナオ州では,2012年10月以降,「バンサモロ枠組み合意」に反発するMILFからの離脱者らが「マウテ・グループ」を設立し,後にISILに忠誠を誓って「カリフ国家」の設立を標ぼうし,国軍との衝突やキリスト教徒等へのテロを繰り返した。

(2) テロ関連動向

ミンダナオ地方北部及び東部,ルソン地方農村部,ビサヤ地方等においては,NPAによるテロや恐喝が続発しており,特にミンダナオ地方では,日系企業への攻撃も発生している(注16)。一方,ミンダナオ地方西部においては,2014年中,イスニロン・ハピロンが率いるフィリピン南部・バシラン州拠点のASGの派閥,マギンダナオ州等を拠点とするBIFF,スルタン・クダラト州やサランガニ州を拠点とする「アンサール・ヒラーファ・フィリピン」(AKP)等が,「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディに相次いで忠誠を表明するとともに,2015年以降,次第にハピロンの下へ合流していった。ハピロンが当時拠点としていたバシラン州では,2016年4月から同年中頃にかけて,同人率いる派閥による国軍との衝突,民間人殺害等が多発した。一方,同時期に,ミンダナオ島・南ラナオ州でも,ISIL関連組織「マウテ・グループ」の活動が活発化した。同組織は,2016年2月に同州ブティグで国軍と交戦し,同年8月には同州マラウィの留置施設を襲撃して多数の仲間を解放したほか,ダバオ市内における爆弾テロ(同年9月),ブティグ占拠(同年11月),同国中部・レイテ州ヒロンゴスにおける爆弾テロ(同年12月)等,フィリピン南部から中部で爆弾テロ,占拠,襲撃及び誘拐事案を頻発させた。こうした中,ハピロンは2016年末,南ラナオ州へ移動して「マウテ・グループ」に合流し,2017年5月には,ハピロンらASGの一部,「マウテ・グループ」とその支持者,外国人戦闘員等から成る数百人の武装集団が,マラウィの市街地を占拠した。これを受けて,ISILは,同年6月,オンライン英語機関誌「ルーミヤ」で,ハピロンを「東アジアにおけるカリフ国の兵士たちの指導者(アミール)」であることを認めるとともに,同人を頂点とするISIL関連組織及び派閥の連合体(いわゆる「ISIL東アジア」〈ISEA〉)の存在が明らかにされた。一方,政府は,同占拠発生直後にミンダナオ地方に戒厳令を発出し(2019年末に解除),2017年10月に戦闘作戦の終結を宣言するまでの5か月にわたって激しい戦闘が続けられ,武装集団側を含む死者数は1,100人以上に上った(注17)(注18)。一連の戦闘で,ISEAはハピロンら最高幹部を始め多数の戦闘員を失ったが,マラウィから脱出し,又はマラウィ占拠に参加しなかったISEA構成組織及び派閥は,スールー諸島を始めとするそれぞれの拠点でテロを継続した。2018年5月には,スールー州ホロ島パティクルで開催された「シューラ」(協議,相談の意)に出席したISEA構成組織及び派閥(「マウテ・グループ」等一部の組織及び派閥を除く)の代表によって,ISEA指導者(二代目)に,同州を拠点とするASG幹部ハティブ・ハジャン・サワジャアンが選出されたと指摘されている。同国では,2018年年7月に,バシラン州ラミタンで,モロッコ系ドイツ人によるフィリピン初の自爆テロが発生して以降,2019年1月には,スールー州ホロ島のカトリック教会における,インドネシアのISIL関連組織「ジャマー・アンシャルット・ダウラ」(JAD)に所属する同国人夫婦による自爆テロ,2020年8月には,スールー州ホロ島市街地でASG戦闘員の未亡人とみられる女2人による連続自爆テロ等,毎年自爆テロが発生している。このほか,ミンダナオ島のマギンダナオ州,スルタン・クダラト州,南ラナオ州等においても,ISEA構成組織によるテロが散発的に発生した。このような状況の中,同国政府は,2020年7月,従前から専門家等によりテロ対策上効果がないと指摘されてきた(注19)「人間の安全保障法」に代わり,罰則対象となるテロ行為の拡大,治安当局の権限拡大等が盛り込まれた「2020年反テロリズム法」を成立させた。なお,フィリピンにおけるイスラム過激組織によるテロは,近年,ミンダナオ地方西部にほぼ限定されているものの,マニラ首都圏等においても,ISIL,ISEA等に関連した摘発事案が散見される(注20)ことから注意を要する。

(3) 今後の展望

ISEA構成組織及び派閥は,治安当局からの厳しい圧力を受け,各勢力は分散傾向にあるほか,ISEA指導者とみられていたサワジャアンが死亡した可能性が高いにもかかわらず,新たな指導者が選出された兆候もないことから (注21),現時点で,これらの勢力がマラウィ占拠事件に類する組織的かつ大規模なテロを実行する可能性は低いとみられる。ただし,各勢力は,依然としてテロを継続しているほか,2018年以降毎年発生している自爆テロは,より過激な思想を有する外国人戦闘員の影響が地元戦闘員に及びつつある可能性を示唆しており,同国におけるテロの脅威継続しているとみられる。

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