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フィリピン

フィリピンでは、1968年、ホセ・マリア・シソンら親中派が、「フィリピン共産党」(CPP)の設立を宣言するとともに、1969年3月、CPPの軍事部門として「新人民軍」(NPA)(注1)を設立した。NPAは、農民や労働組合員、カトリック教会関係者、摘発を逃れた反体制派活動家の一部等を取り込むなどして勢力を拡大させ(注2)、1986年当時、メンバー数を2万5,000人にまで拡大させていたが、海外からの支援縮小、国軍によるNPAの拠点の奪還、内部対立の激化等により、1990年代には、6,000人程度にまで勢力を減退させた。NPAはその後、国内の経済状況の悪化や反政権運動の活発化を背景に、2000年頃には勢力を1万人以上に回復させたものの、国軍の掃討作戦で再び弱体化し、近年では、3,500人から4,000人まで勢力が減少した。こうした中でも、NPAは、治安部隊等に対する襲撃等を継続している。

一方、フィリピン南部のうちミンダナオ地方西部では、イスラム教徒のモロ族(注3)を始めとする先住民族による政府への抵抗運動を背景として、1960年代後半に分離主義運動が活発化した。1968年頃に設立された「モロ民族解放戦線」(MNLF)(注4)は、1972年以降、フィリピン南部における独立国家の建設を標ぼうし、国軍に対する武力攻撃を繰り返した。

こうした中、MNLF内部では、路線の違いから分派の動きが見られ、1977年、飽くまでもフィリピン南部におけるイスラム国家の樹立を掲げる幹部のサラマト・ハシムらが離反して「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)(注5)を設立したほか、1991年には、MNLFに所属していたアブドゥラジャク・ジャンジャラニがフィリピン南部からイスラム国家を拡大させることを掲げて「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)(注6)を設立した。

その後、政府とMNLFは、1993年に暫定停戦協定に合意するとともに、1996年には最終和平協定(「ジャカルタ協定」)に調印し、MNLF議長ヌル・ミスアリ(当時)がミンダナオ地方西部の州から構成される「ムスリム・ミンダナオ自治地域」(ARMM)知事に就任した(注7)。また、MILFも、ハシムが死亡(2003年7月)した後、議長に就任したムラド・イブラヒム(アホッド・エブラヒム)の下、政府との和平路線を採り、2012年10月、和平に関する「バンサモロ枠組み合意」に調印し、2014年3月には、政府との間でバンサモロ自治政府の設立等を柱とする「バンサモロ包括和平合意」に調印した(注8)

一方、ミンダナオ地方西部・マギンダナオ州を中心に活動するMILF内の強硬派の一部は、自治地域設立に対して飽くまでも独立を主張して2010年に組織を離脱し、「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)(注9)を設立して国軍に対する襲撃等を継続した。また、同南ラナオ州では、2012年10月以降、「バンサモロ枠組み合意」に反発するMILFからの離脱者らが「マウテ・グループ」(注10)を設立し、国軍との衝突やキリスト教徒等へのテロを繰り返した。

こうした中で、ミンダナオ地方西部においては、2014年中、イスニロン・ハピロンが率いる南部・バシラン州拠点のASGの一部派閥、マギンダナオ州等を拠点とするBIFF、南部・サランガニ州を拠点とする「アンサール・ヒラーファ・フィリピン」(AKP)(注11)等複数のグループが、「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディ(当時)への忠誠を相次いで表明するとともに、2015年以降、次第にハピロンの下へ合流していった。同時期には、南ラナオ州でも、「マウテ・グループ」が活動を活発化させ、バグダディに忠誠を誓い、フィリピン南部から中部で爆弾テロ、占拠、襲撃、誘拐を頻発させた。

ハピロンは2016年末、南ラナオ州へ移動して「マウテ・グループ」に合流し、2017年5月には、ハピロンらASGの一部、「マウテ・グループ」とその支持者、外国人戦闘員等から成る数百人の武装集団が、マラウィの市街地を占拠した。ISILは、同年6月、機関誌「ルーミヤ」で、ハピロンを「東アジアにおけるカリフ国家の戦士たちの最高指導者」であるとするなど、同人を頂点とするISIL関連組織及び派閥の連合体(いわゆる「ISIL東アジア」(ISEA))(注12)の存在を明らかにした。一方、政府は、同占拠発生直後にミンダナオ地方に戒厳令を発出し(2019年末に解除)、2017年10月に戦闘作戦の終結を宣言するまでの5か月にわたって激しい戦闘が続けられ、ISEA側を含む死者数は1,100人以上に上った(注13)

一連の戦闘で、ISEAは最高指導者ハビロンを始め多数のメンバーを失ったが、マラウィから脱出し、又はマラウィ占拠に参加しなかったISEA構成組織及び派閥は、スールー諸島を始めとするそれぞれの拠点でテロを継続した。2018年5月には、ISEA二代目最高指導者にスールー州を拠点とするASG幹部ハティブ・ハジャン・サワジャアンが選出されたが、同人については、当局との衝突後に死亡したと指摘されている(注14)(注15)

このほか、フィリピンでは自爆テロも発生しており、2018年7月にバシラン州ラミタンでモロッコ系ドイツ人による同国初の自爆テロが発生して以降、2019年1月には、スールー州ホロ島のカトリック教会におけるインドネシアのISIL関連組織「ジャマー・アンシャルット・ダウラ」(JAD)(注16)に所属する同国人夫婦による自爆テロ、2020年8月には、スールー州ホロ島市街地におけるASGメンバーの未亡人の女2人による連続自爆テロが発生した。

このような状況の中、同国政府は、2020年7月、罰則対象となるテロ行為の拡大、治安当局の権限拡大等が盛り込まれた「2020年反テロリズム法」を成立させ、テロ対策を強化しているものの、2021年以降も、ミンダナオ島ではISEA構成組織及び派閥による国軍や民間人を標的としたテロが発生している。

なお、フィリピンにおけるイスラム過激組織によるテロは、近年、ミンダナオ地方西部にほぼ限定されているものの、マニラ首都圏等においても、ISIL、ISEA等に関連した摘発事案等が散見される(注17)

ISEA構成組織及び同派閥については、治安当局による掃討作戦で相当程度の打撃を受けて弱体化しているものの、依然としてリクルート、訓練、資金調達等の活動を秘密裏に行うなど、今後の情勢次第では再び活動を活発化させる可能性がある旨の指摘がなされている(注18)

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