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イラク

イラクでは、「イラクのアルカイダ」(AQI、現「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL))が、2004年10月の設立後、シーア派主導の政府に反発するスンニ派部族の支持等を得て、2006年までに西部・アンバール県等に拠点を設け、治安部隊、駐留米軍、シーア派等を標的としたテロを実行してきた。しかし、同年頃からイラク駐留米軍及びイラク軍による大規模な掃討を受け、また、勢力圏における極端な解釈による独自のイスラム法の強要等によって、地元住民からの支持を失い、2010年頃までには拠点を喪失するなどして著しく勢力を減退させた。しかし、ISILは、2011年12月の駐留米軍の撤退後、徐々に勢力を回復させ、2012年以降、再びイラク全土で大規模なテロを継続的に実行するようになった。

こうした中、2013年4月の北部・キルクーク県ハウィジャでのスンニ派住民の抗議活動に対する治安部隊による鎮圧を契機として、住民と治安部隊との衝突が拡大した。また、アンバール県においても、同年12月に同県での抗議活動を支持していたスンニ派国会議員の逮捕を契機として、住民による抗議活動が拡大し、治安部隊との衝突に発展した。

ISILは、こうした機会に乗じ、政府の信用失墜や宗派間抗争の激化を企図し、治安部隊やシーア派を標的とした爆弾テロ等を頻発させた。また、ISILは、スンニ派部族民兵、旧フセイン政権時代の軍関係者、旧「イラク・バアス党」(注44)関係者等から形成される他のスンニ派武装勢力と共に、2014年1月、アンバール県ファルージャを占拠し、さらに、同年6月以降、北部・ニナワ県及び北部・サラーハッディーン県でも攻勢を強め、ニナワ県モースルを含む北部の広域を占拠した。その後も、ISILは、北部から首都バグダッドに向けて南侵したほか、クルディスタン地域政府(KRG)管轄地域への侵攻も開始し、中心都市である北部・エルビル県エルビルにも迫った。

こうした事態を受け、米国等は、2014年8月から、KRG管轄地域を含む北部等で、ISILを標的とした空爆を開始した。その後、同空爆の支援を受ける形で、イラク軍、KRGの治安部隊「ペシュメルガ」及びシーア派主体の民兵組織「人民動員隊」(PMU)(注45)は、各地でISILに対する攻勢を強めた。その結果、ISILは、2015年3月、サラーハッディーン県ティクリートを、2016年4月以降、アンバール県ヒート、ルトバ及びファルージャを相次いで失った。

2017年に入っても、ISILの退潮は続き、アバーディー首相(当時)は、7月、イラクにおけるISIL支配下最大の都市であったニナワ県モースルの完全解放を宣言した。ISILは、その後も相次いで支配地を喪失し、11月までにイラクにおける全ての支配地を喪失した。

ISILは、2018年以降も、バグダッド一帯、キルクーク県、サラーハッディーン県、ニナワ県、東部・ディヤーラ県等で、治安部隊、治安部隊に協力する住民、シーア派住民等に対するテロを継続的に実行しているものの、2020年をピークにテロ件数は、減少傾向にある(注46)

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