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イラク

(1) 背景

イラクでは、人口の約6割をイスラム教シーア派アラブ人、約2割をイスラム教スンニ派アラブ人、約2割弱をクルド人が占めているほかキリスト教徒やその他の少数民族が混在している。

2003年3月、米国のブッシュ大統領(当時)は、「イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を保有している」として「イラクの自由」作戦を開始し、同年4月に米軍が首都バグダッドを制圧した。米国及び英国は、連合国暫定施政当局(CPA)を設置し、同年7月に主要各宗派、有力部族の指導者等イラク国民の代表25人によるイラク統治評議会を発足させた。

シーア派のアラーウィー首相率いる暫定政府(2004年6月発足)は、2005年1月、新憲法制定等を目的とした暫定国民議会選挙を実施し、「クルド愛国同盟」(PUK)のタラバニ議長を大統領、「ダアワ党」(シーア派政党)のジャファリ代表を首相とする移行政府が発足した。

同年10月に制定された新憲法の下で実施された国民議会選挙で発足したシーア派主導のマーリキー政権は、当初、シーア派、スンニ派及びクルド人の三者の融和を目指した政権運営に努めてきたとされるが、2011年12月の駐留米軍撤退以降は、主要官庁要職のシーア派による独占、スンニ派有力政治家の排除、スンニ派住民による抗議活動の強制排除等の姿勢が指摘されるようになり、次第に同政権に対するスンニ派の不満が高まるとともに、クルディスタン地域政府(KRG)との間でも、石油収入の配分等をめぐって対立を深めた。こうした中で、同政権が、2013年4月、北部・キルクーク県ハウィジャで、同政権に対する抗議活動を行っていたスンニ派住民を鎮圧したことを契機に、スンニ派が多数居住する地域では、住民による抗議活動が発生、拡大し、治安部隊との衝突に発展していった。米軍撤退後に徐々に勢力を盛り返してきた「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)は、こうした機会に乗じ、政府の信用失墜や宗派間抗争の激化を企図し、治安当局やシーア派住民を標的とした爆弾テロ等を頻発させ、2014年1月に、西部・アンバール県ファルージャを占拠した。

2014年4月末には、ファルージャを除いた全土で、国民議会選挙(第3回)が実施され、マーリキー首相率いるシーア派政党連合「法治国家連合」が第一勢力となったが、同首相による過度なシーア派優遇の姿勢が混乱を招いたことに対する批判が高まり、同年8月には、「法治国家連合」に属するアバーディー国民議会第一副議長が首相候補に指名され、同年9月、同人を新首相とする政府が発足した。

アバーディー政権は、発足以降、治安面では、軍の再建等に取り組み、米軍等による支援の下、ISIL掃討作戦を展開した。政治面では、政治改革、汚職の撲滅等に取り組んだものの、奏功しなかった。

2017年に入り、アバーディー政権は、ISIL掃討作戦を進展させ、7月にはISILの「商業首都」と言われた北部・モースルの解放を宣言するなど、11月までにISILの全ての支配地を制圧した。他方、KRGが9月に実施したイラクからの独立の是非を問う住民投票(注20)をめぐり、アバーディー政権とKRGとの緊張が高まった。

2018年5月に行われた国民議会選挙(第4回)では、ムクタダ・アル・サドル師率いる政党連合「変革への行進」が第一勢力となり、アバーディー首相率いる政党連合「勝利連合」は第三勢力となり、10月、シーア派のアーデル・アブドルマハディー元石油相が新首相に就任した。

2019年10月、政権の汚職、不十分な住民サービス及び高失業率に抗議し、これらの改善を訴える若年層中心の大規模なデモが発生した。治安部隊(注21)は、同デモに対して武力で鎮圧を図り、多数の死傷者が生じた(注22)。こうした事態の収束を図るため、11月、アブドルマハディー首相は辞意を表明したものの、その後も同デモは収束しなかったほか、議会における派閥間争いの影響で次期首相選出が難航し、同人が暫定首相の職に就いた。新首相が決定せず政治混迷が続いた中、2020年5月、ムスタファ・アル・カーズィミー氏が新首相に就任した。

2021年7月、イラクと米国の首脳は、年内にイラク駐留米軍の戦闘任務を終了し、訓練、助言及び情報共有に移行することで合意し、同12月、米国国防総省は、米軍による戦闘任務終了を発表した。なお、イラク軍に対する訓練等のため、約2,500人の米軍が駐留を継続しているとされる。

(2) テロ関連動向

ア スンニ派組織

「イラクのアルカイダ」(AQI、現ISIL)は、2004年10月の結成後、シーア派主導の政府に反発するスンニ派部族の支持等を得て、2006年までに西部・アンバール県等に拠点を設け、治安部隊、駐留米軍、シーア派等を標的としたテロを実行してきた。しかし、同年頃からイラク駐留米軍及びイラク軍による大規模な掃討を受け、また、勢力圏における独自の極端な解釈によるイスラム法の強要等によって、地元住民からの支持を失い、2010年頃までには拠点を喪失するなどして著しく勢力を減退させた。しかし、ISILは、2011年12月の駐留米軍の撤退以降、徐々に勢力を回復させ、2012年以降、再びイラク全土で大規模なテロを継続的に実行するようになった。

こうした中、スンニ派が多数居住する北部では、2013年4月のマーリキー政権による北部・キルクーク県ハウィジャにおけるスンニ派住民の抗議活動の鎮圧を契機として、住民と治安部隊との衝突が拡大した。スンニ派が多数居住するアンバール県においても、マーリキー政権が、同年12月に「反政府活動を扇動した」との容疑でスンニ派国会議員の逮捕を試みたことを契機として、住民による抗議行動が発生し、治安部隊との衝突に発展した。

ISILは、こうした機会に乗じ、政府の信用失墜や宗派間抗争の激化を企図し、治安当局やシーア派を標的とした爆弾テロ等を頻発させた。また、スンニ派部族民兵、旧フセイン政権時代の軍関係者、旧「イラク・バアス党」関係者等から形成される他のスンニ派武装勢力と共に、2014年1月、アンバール県ファルージャを占拠し、さらに、同年6月以降、北部・ニナワ県及び北部・サラーハッディーン県でも攻勢を強め、モースルを含む北部の広域を占拠した。その後は、北部から首都バグダッドに向けて南侵したほか、KRG管轄地域への侵攻も開始し、中心都市である北部・エルビル県エルビルにも迫った。

こうした事態を受け、米国等は、2014年8月から、KRG管轄地域を含む北部等で、ISILを標的とした空爆を開始した。その後、同空爆の支援を受ける形で、イラク軍、KRGの治安部隊「ペシュメルガ」及び「人民動員隊」(PMU)は、各地でISILに対する攻勢を強め、ISILは2015年3月、サラーハッディーン県ティクリートを、2016年4月以降、アンバール県ヒート、ルトバ及びファルージャを相次いで失った。

2017年に入っても、ISILの退潮は続き、アバーディー首相(当時)は7月、モースルの完全解放を宣言した。ISILは、その後も相次いで支配地を喪失し、11月までにイラクにおける全ての支配地を喪失した。

しかしながら、ISILは、2018年以降も、バグダッド一帯、キルクーク県、サラーハッディーン県、ニナワ県、東部・ディヤーラ県等で、治安部隊、地元部族長、シーア派住民等に対するテロを継続的に実行した。2020年3~5月には、同国治安部隊が新型コロナウイルス感染症の感染拡大への対応に追われたことでISIL対策が手薄となり、ISILはこの状況を利用して、ディヤーラ県、キルクーク県での攻撃を倍増させた。2021年に入り、バグダッドで、2018年1月以来となるシーア派住民を標的とした自爆テロ(1月)を実行したのを皮切りに、相次いでテロを実行した(4月、6月、7月)ほか、6~8月にかけて多数の送電塔を爆破し、市民生活に大きな影響を及ぼした。

イ シーア派民兵組織

イラクでは、フセイン政権崩壊後、多数派のシーア派が政府を主導する一方で、同派と少数派であるスンニ派との宗派間抗争が激化した。特に、ムクタダ・サドル師率いる「マハディ軍」、その分派組織「アサイブ・アフル・ハック」(AAH)、「カタイブ・ヒズボラ」(KH)等のシーア派民兵組織が結成され、駐留米軍、スンニ派等を標的とした攻撃を実行した。これらの組織は、対米強硬路線を掲げ、米軍駐留を認めるイラク政府に反発するなどしていたところ、2011年12月の米軍撤退を受け、政府との間で停戦に合意したり、政権に参画したりするなど、政府や駐留米軍に対する強硬路線を軟化させたとされる。

他方、2011年3月にシリアで反政府運動が発生して以降、これらの組織の一部は、シリア政府を支援するため、同国に戦闘員を派遣して、反体制派勢力との戦闘に参加させたが、2014年1月にISILがイラクで攻勢に出て以降、シーア派宗教指導者シスターニ師がISILと戦うことを呼び掛けたことから、シリアに派遣されていたこれらの一部はイラクに帰還するとともに、多くの市民が加わり、シーア派民兵組織は大きく勢力を拡大させた。2014年6月には、これらの組織を中核とする連合体PMU(注23)が結成され、治安部隊と共にISILとの戦闘に参加してきたとされる。

他方、一部のシーア派民兵組織は、ISIL支配地域の奪還作戦に際し、スンニ派住民を拘束して殺害するなどの残虐行為をしたとも指摘されている(注24)。また、レバノンのシーア派組織「ヒズボラ」は、ISILの攻勢を受け、イラクのシーア派民兵組織に対する支援を強化し(注25)、イランも、軍事顧問団をイラクへ派遣するなどして、同国政府、同国のシーア派民兵組織等に対する支援を行ってきたとされる(注26)

シーア派民兵組織の中でも、イランの支援を受けているとされる組織は、米国とイランの緊張が高まりつつあった2019年5月以降、イラク国内の米軍が駐留する基地、米国大使館、米軍等向けの物資を運搬する車両等の米国権益を標的とした攻撃を実行してきたとされる。これに対して、米国は、同年12月に北部・キルクーク県に所在する米軍関連施設がミサイル攻撃を受けたことをKHによる犯行とみなし、「有志連合に対して将来的に攻撃を行う組織の攻撃能力を低下させるための自衛行動」として、西部・アンバール県アル・カイム等に所在するKHの拠点を空爆した(注27)。同攻撃を受けて、KHは、自組織の戦闘員に対し、「敵である米軍をイラクから撤退させる戦いに備えよ」と呼び掛けるなど、報復攻撃を示唆した。

2020年1月、イラクを訪問していたイスラム革命防衛隊(IRGC)コドス部隊のガーセム・ソレイマニ司令官及びPMUムハンディス副司令官が米軍の空爆で死亡したことを受け、イランの支援を受けるシーア派民兵組織は、米軍の撤退を訴え、米国権益を標的とする攻撃を断続的に実行してきている(注28)

(3) 今後の注目点

イラク北部及び東部では、中央政府とKRGとの間に、KRGの自治権が及ぶ地域をめぐる意見の対立があることから、治安面の連携に影響が出ており、ISILに活動の余地を与えているとの指摘がある。また、中央政府は、PMU構成組織による違法行為に対して十分に対応できておらず、同国における安定的な統治の実現には困難が予想される。このようなイラクの不安定な情勢に乗じて、ISILが同国各地で活動を活発化させる可能性もあることから、ISILの今後の動向に注意が必要である。

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