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人種差別撤廃条約の加入から四半世紀

 今から四半世紀前の平成7年(1995年)12月15日,日本政府は,「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する条約」(平成7年条約第26号)に加入しました。
 改めて,本条約の作成経緯等を振り返ると,既に国際連合憲章(昭和31年条約第26号)第1条において,「人種,性,言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて,国際協力を達成すること」と規定され,また,昭和23年(1948年)に第3回国連総会において採択された世界人権宣言において,「すべての人間は,生まれながらにして自由であり,かつ,尊厳と権利とについて平等である」と宣言されていました。
 しかしながら,昭和34年(1959年)から昭和35年(1960年)にかけて,ゲルマン民族の優越性を主張して,反ユダヤ主義思想を扇動したりするネオ・ナチズムの活動が,ヨーロッパを中心に続発したほか,当時南アフリカ共和国では,アパルトヘイト政策による人種差別が行われていました。こうした憂慮すべき事態が起きていたことを背景に,同年の第15回国連総会において,「人種的,民族的憎悪の諸表現」と題するナチズム非難決議が全会一致で採択されたほか,植民地主義及びこれに関連する分離及び差別の全ての慣行を終結しなければならない旨の内容を盛り込んだ「植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言」が採択されました。
 このような取組にもかかわらず,その後も人種,民族に対する差別は依然として存在したため,このような決議に加え,各国に対し,差別を撤廃するためのより具体的な措置の履行を義務付ける文書の採択が必要とされ,昭和40年(1965年)第20回国連総会において,本条約が全会一致で採択されることになりました。
 本条約は,このような長い経過をたどって作成されたものであり,冒頭に御紹介したとおり,我が国が加入してから四半世紀が経過しようとしており,この間,人種差別の撤廃のために様々な施策が講じられていますが,現在の状況を見てみると,いまだにヘイトスピーチであるとして,問題とされる事案があります。
 「誰かのことじゃない」,自分が行うべきこととして,「ヘイトスピーチ,許さない」社会を作っていきませんか?